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流れ雲のブログ

季節は巡り、花が咲き花が舞い、花が散り花が逝く、
きっといつか、風が吹いて、夢を運んでくる予感…
繰り返しと、積み重ねの、過ぎ去る日々に、
小さな夢と、少しの刺激で、今を楽しく、これからも楽しく…

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人生に失敗がないと、人生を失敗する。
(斎藤茂太) 
努力する者は希望を語り、怠け者は不満を語る。







2011年7月23日、この世を去った孤高の歌姫
エイミー・ワインハウス。
ドキュメンタリー映画『AMY エイミー』(2015/AMY)では、
音楽と愛にひたむきに生きた彼女の27年の短い生涯が、
本人が映った貴重なフィルムに加え、家族や親しい友人、
元恋人たちや仕事仲間のインタビューとともに
綴られている。 

エイミーと同郷の監督アシフ・カパディアは、
「私にとってエイミーは道の向こう側に住んでる一人の
女の子のような存在だった。

だからこそ彼女の本当の物語を調べなければ」と思った。
最初は親しい幼馴染みや元恋人たちからは警戒されて
なかなか協力を得られなかったが、次第にエイミーを
助けられなかったという心の重荷を解放するかのように
人々は語り始めた。

プライベートな映像は彼らからの提供で、そこには
「メディア報道の破天荒なイメージとは程遠い普通の
女の子」が映っていることが分かる。 

私が10代の頃、世間で流行っていた音楽というか、
発表されていた音楽は本物じゃないと感じてた。
薄っぺらでくだらなくて。 

1983年9月14日。労働者階級の両親のもとに生まれた
エイミーは、ロンドン北部で昔のジャズ・ヴォーカルを
聴きながら育つ(中でもトニー・ベネットがお気に入り
だったそうだ)。

しかし、9歳の頃に音楽を教えてくれた父親が別の
女性を作って別居状態に。
エイミーの心に深く影響を落とす。
以来、学校の勉強に興味をなくして将来性が
あるとはいえない状況だったが、彼女には歌があった。
独特の声があった。

ジャズ以外にも、ニューソウルやヒップホップや
カリブ音楽などを思春期に吸収していった。 
エイミーは10代でレコード契約して、20歳になったばかりで
デビューアルバム『Frank』をリリース。

「彼女の歌を聴いた瞬間、本物だと思った。
まるで65歳の熟練のジャズ歌手みたいな歌い方だ。
18でこれじゃ25になった時どうなるんだと思った」

(サラーム・レミ/プロデューサー) 私の音楽は
一般受けしないから。売れたらいいと思う時もあるけど、
私は有名にはなれないわ。
もし有名になったら対処できなくて頭が変になる。 

この頃、同じように子供の頃から心に傷を持つ
ブレイク・フィールダーと恋に落ちるが、同時に
アルコールへの依存も高まっていく。

さらに最愛の祖母が亡くなり、大きなショックを受ける。
2006年、セカンド・アルバム『Back to Black』をリリース。
シングル「Rehab」も大ヒットして賞レースも活発化。

ビーハイヴヘアとキャッツアイメイクのエイミーには
メディア露出と注目が倍増する。
「彼女はスターになって天狗になるどころか
戸惑っていた。不安と恐怖でいっぱいだったんだ。

自分を取り巻く状況にどうしたらいいの?と言ってたよ
」(ヤシーン・ベイ) ブレイクと結婚するも、それは
ドラッグに深くのめり込んでいく最悪の生活の
始まりでもあった。

相次ぐツアーキャンセルの後、夫ブレイクは逮捕。
エイミーはリハビリ施設へ入所。
タブロイド紙のパパラッチのフラッシュの餌食に
される日々の中、破天荒なイメージに覆われてしまう。 

私を知れば世間は理解するはず。
私は音楽しか能のない人間だって。
だから放っておいて。音楽をするから。
音楽をする時間が必要なの。 

2008年2月。グラミー賞授賞式。
ドラッグ問題でアメリカ入国できなかったエイミーは、
ロンドンのスタジオから衛星中継で参加。

ビヨンセ、ジェイ・Z、ジャスティン・ティンバーレイクら
強力な候補者を抑えて、シングル・オブ・ジ・イヤーなど
5部門を獲得。受賞の瞬間は感動的だった

レコード会社の成功は私の成功じゃない。
私の成功は仕事する自由を持つこと。 
その後、次のアルバム制作に専念するために
活動を休止。
友人たちに囲まれて島国セントルシアで半年間生活。

ブレイクと離婚。
映画には曲を書くことによって心の葛藤や苦しみを
乗り越えようとするエイミーの姿がある。
「僕にとっては魔法のような時間で、彼女も意欲的に
仕事した。だから噂が理解できなかった。

なぜ優柔不断な問題児と言われるのか」
(マーク・ロンソン/プロデューサー) 2011年3月。
憧れのジャズ歌手トニー・ベネットとスタンダード・ナンバー
「Body and Soul」をデュエット。
素晴らしい歌唱を録音する。

6月、本格的復帰を目指してツアーを開始するも、
酔っ払ってステージに現れてまともに歌えず
ブーイングの嵐。
アルコールへの依存は断ち切れていなかった。 

そして7月23日。心臓発作により自宅で亡くなって
いるのが発見される。享年27。
12月に遺作『Lioness:Hidden Treasures』がリリース
されて全英1位に。

「彼女は紛れもない本物のジャズ歌手だ。
エラ・フィッツジェラルドやビリー・ホリデイに
匹敵する素晴らしい才能だった。

彼女が生きていたら言いたい。生き急ぐな。
生き方は人生から学べると」(トニー・ベネット) 
歌は大切な存在だけど、歌手になるとは
思わなかった。
歌いたい時に歌えるだけでラッキーだったから。
まさか仕事にするなんてね。 
エイミー・ワインハウス 1983.9.14-2011.7.23 

エイミー・ワインハウス〜
普通の女の子が歌姫となって27歳で
この世を去るまで
TAP the POP< 『TAP the SCENE』
http://www.tapthepop.net/





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盲目の天才ピアニストのお母さん、辻井いつ子さんが
わが子の特別な才能を見つけ出すお話しです。

いつ子さんは、わが子の妊娠が分かると、
チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトを
毎日聴いて過ごします。
また伸行さんは、音のするおもちゃで遊ぶのが
好きなので、ピアノのおもちゃを買い与えました。

何か歌っていないと、伸行さんは機嫌をそこねます。
そこで、知っているかぎりの歌を歌い続けて、
育児にあたるいつ子さんでした。

生後8カ月のころ、伸行さんはブーニンの弾く
ショパンの「英雄ポロネーズ」がとてもお気に入りでした。
テーマの部分に来ると、両足をバタバタさせて
全身でリズムを取って喜んでいました。

いつ子さんがしてきたことは、世界の一流の演奏家の
「音」を聴かせることだけではありません。
「伸行は見えなくても、心で感じとっているから」
いつ子さんはそう実感していました。

だから美術館にもどんどん連れていきました。
例えば、ウイーンの美術館ではガラス越しに指を
絵に添ってふれさせ、構図を説明しながら
クリムトを見ました。

「美しいものがあるなら、どんなところにでも
連れて行きたい」そう思って、熱海の花火を
見に行きましたし、

沖縄に行ったときには、沈む夕日の荘厳なまでの
光景を一緒に見て、心の震えるような体験もしました。

ところで、伸行さんの聞いていた「英雄ポロネーズ」
ですが、毎日毎日、何回も何回もプレーヤーに
かけるので、そのCDの表面には傷がついて、
あるところまで来ると止まってしまいました。

やむをえず、別の曲をかけることにしたのですが、
伸行さんの表情はすぐれません。
そこで、いつ子さんは楽器店に行って、
新しい「英雄ポロネーズ」を買い求めてきました。

ところが、そのCDをかけても彼の機嫌は直りません。
もうこの曲は嫌いになっちゃったんだ。
そう考えて、なだめたりあやしたりするいつ子さんでした。

しかし、それがきっかけで、いつ子さんは伸行さんの
特別の才能に気づくことになるのでした

いつ子さんは思いました。
もしかすると、演奏者が違うので、それが気に
入らないのかもしれない。
そう思って聞き比べてみると、2つの演奏は
ずいぶん異なって聴こえてきます。

もし、ブーニンの「英雄ポロネーズ」を聴いて機嫌が
直ることになれば、伸行さんの「耳の力」の
証明になることでしょう。

そう考えて、ブーニン版を買い求め、プレーヤーに
かけてみると、なんと伸行さんは、以前と同じように、
手足をバタバタさせて、全身で喜びを表わすでは
ありませんか。

伸行さんが好きだったのは「ショパンの英雄ポロネーズ」
ではなく、ブーニンの演奏する「英雄ポロネーズ」
だったのです。・・・




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