方広寺 | 京都にゲストハウスを開こう!

京都にゲストハウスを開こう!

愛知県で出稼ぎ中の28歳!( ^ω^ )1年間貯金、英語マスター、京都勉強、ホームページ作成勉強と大丈夫か?と一抹の不安ありつつ!閉じこもっても面白く無いんで、この期間も旅行やら飲みやら行きますけどね!バンバン!日頃の記録やらよろづごと。


テーマ:
京都でゲストハウスを開く俺としては京都のことを知ってなければ!!ゲストさんに聞かれて何もわかりませんじゃ情けないしね。

という訳で京都にある寺とか何やをまとめてフォーマットにしよう大作戦!!


今回は方広寺



方広寺



拝観境内無料、本堂は200円

京阪「七条駅」より徒歩8分

9:00~16:00

日本三大名鐘の1つ



【   解  説   】

1586年豊臣秀吉が建立。

以前は大仏殿と呼ばれ、大仏が安置されていた。

1604年頃、放火により炎上したあと、豊臣秀頼が再興した。
現在は本殿から東、少々離れたところに『大仏殿跡緑地公園』としてその名を残している。

2000年に遺構の状態を確認する為に部分的な発掘調査が実施された結果、大仏殿の正確な位置が判明し、その規模も南北約90m東西約55m、大仏の全高18mという東大寺大仏殿をもしのぐものであったと改めて確認された。

発見された遺構は地下に埋め戻して保存し、小舗石や板石などで位置を地表に明示している。

大仏殿は、京都国立博物館、妙法院、智積院から三十三間堂までもが方広寺の敷地であったという。

現在は敷地内の伽藍は本堂と鐘楼のみ。

梵鐘の銘文のうち「国家安康」「君臣豊楽」の句が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものと看做され、大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる(方広寺鐘銘事件)。

大仏自体は大坂の陣の後も残されたが、1662年の地震で倒壊。

大仏は1667年に木造で再興され、倒壊した銅造の大仏は寛永通宝の原料とされた。

この大仏も 1798年落雷による火災で焼失。

江戸時代後期の天保年間(1830-1844年)尾張国の有志により、上半身のみの大仏が木造で再興された。

1871年、方広寺境内の大部分は収公され、現在の規模となった。

1973年の火災で天保再興の大仏も焼失。

「国家安康」の鐘は現存して重要文化財に指定されており東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘の1つとされる。




読んでてまず思ったのが火災と落雷多すぎじゃね?ってこと。

話を思い浮かべるときにやっぱり今の京都を思い浮かべるんでしょうね。その当時は京都タワーもビルもなかったんやね。だから今の京都、ってのはここ100年とかのもんなんでしょうね。

街が碁盤状とかは勿論昔のまんまやけどさ。


東大寺、知恩院とともに日本三大名鐘。うむ。


家康のイチャモンやばくない?w鐘の画像見たけど字なんかめっちゃちっちゃいの。これを家康が1つ1つ探して見つけた。とは考えにくいから。

何やろ。どっかにタレコミ屋みたいなんおったんかね昔から。その情報源が1番気になるわ!!調べてるけど出てこんのだわー。


見る?鐘。こんなん。





いえやすさんぱねーっす。

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