熊襲の真実 | 知っとうや2

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2900年続いた人類中心文明は、もうすぐ本来の神代に戻ります。
十界、六道輪廻等宇宙の法則を知らずして未来は語れません。
歴史の真実を知り、波動変化についていきましょう!

前回は、蝦夷について考察しました。

今回は、蝦夷とは地域的には対象的な方向である南九州の熊襲についてご紹介します。

今でもよく覚えているのですが、26年前に、当時大きな波紋を呼んだ大阪商工会議所の会頭の「東北熊襲」発言がありました。この時、初めて「熊襲」という言葉を知りました。
<WIKI:東北熊襲発言>

当時の大阪商工会議所の会頭は、熊襲と蝦夷を勘違いして、熊襲東北発言になったのだと思いますが、いずれにしても、熊襲や蝦夷を文化的に低い民族であると蔑視したことには違いないのです。

熊襲をウィキペディアで調べると次のように記載されています。
<WIKI:熊襲>

熊襲(くまそ)とは、日本の記紀神話に登場する、九州南部に本拠地を構えヤマト王権に抵抗したとされる人々で、また地域名を意味するとされる語である。古事記には熊曾と表記され、日本書紀には熊襲、筑前国風土記では球磨囎唹と表記される。」

熊襲とは、ヤマト王権に抵抗したとされる、九州南部にいた民族のことと定義されています。

「熊襲」という漢字は「熊を襲う」という意味に捉えられますから、あまり良い印象を受けない単語でもあります。

実際には、熊襲は、地域的には熊本県南部の球磨川周辺を中心に存在した民族で、筑前風土記で表記される「球磨
囎唹」が本来の呼び名で、それが「熊襲」に変化したのだと思われます。

歴史とは、勝者の歴史であり、世界的に見ても、その地域、その時代に権力を勝ち得た人々が、勝者として都合の良いように改竄してきたのです。

我々が学校で習う歴史とは、そのような改竄された歴史であるということであると認識した方がいいです。

そうでないと、いろいろな局面で間違った判断をしてしまうのです。それが、現代社会の矛盾にまで繋がっていると言っても過言ではないのです。


世界の歴史、日本の歴史は、勝利者の歴史に改竄されているのですが、その改竄した側の時代時代の権力者のことを、私は阿修羅と呼んでいるのです。

阿修羅といった場合は、人種的な話ではなく、魂的な話です。だからこそ、普通の方は、見た目だけでは、誰が阿修羅なのか判断がつかないのです。

今回のテーマの熊襲についても、歴史的には深く阿修羅が関与し、その歴史を大きく改竄されているのです。

熊襲は、記紀の日本神話にも登場し、2世紀頃の話として第12代景行天皇日本武尊(ヤマトタケル)の説話の中にも登場します。

記紀では、朝廷に抵抗する集団の長として、クマソタケル(熊襲建、川上梟帥)が登場し、日本武尊に征伐されますが、これを持って熊襲が悪役と考えては歴史認識を間違うことになるのです。

私が思うに、熊襲と呼ばれる民族は、本来の蝦夷(えみし、アイヌ民族)と同じように、神代以来、神国日本に居住することを許可されていた人々で、混血したのだと思われます。

古代、海水面が今よりも低い時代、屋久島、種子島は元より、奄美諸島や琉球諸島、台湾まで繋がっている時代があったのだと推測しますが、その時代、南方系の海洋民族(青人)と混血していった日本人が、熊襲と言われる人々の流れではないかと思います。

そういう意味では、熊襲ではなく、隼人と呼ぶべき人々のことです。ウィキペディアでは次のように定義されています。
<WIKI:隼人>


隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩・大隅(現在の鹿児島県)に居住した人々。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「隼(はやぶさ)のような人」の形容とも[1]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[2](あくまで隼人は大和側の呼称)。風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、律令制に基づく官職のひとつとなった。兵部省の被官、隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日本人男性の人名としても用いられる。

薩摩隼人と言えば、勇敢なイメージのある男性といった良いイメージがありますが、熊襲と隼人のウィキペディアの定義を比べてみると、熊襲と隼人は、元は同じものであるということが分かります。

同一民族なのに、ヤマト王権に抵抗した民族が熊襲と呼ばれ、ヤマト王権に抵抗しつつも(敗れて)組み込まれた民族が隼人と呼ばれているのです。

この場合、歴史の勝者がヤマト王権。

実は、ここでいうヤマト王権とは、正当な皇室の流れを指しているわけではないのです。熊襲征伐を行ったとされる景行天皇や日本武尊は、ヤマト王権ではなく、正当な王朝(皇室)の流れなのです。これについての詳細は、追々ご紹介できると考えております。

また、景行天皇と日本武尊は、記紀に書かれているように、王権に従わない熊襲(隼人)と呼ばれる民族を征伐したのではないのです。記紀は阿修羅の都合のいいように改竄されているのです。

記紀に定義されているヤマト王権とは、阿修羅が勝手に作った王朝のことなのです。

景行天皇の朝廷とは別なのです。古代には、万世一系の皇室を模倣した阿修羅偽王朝が並立した時期が存在したのです。

阿修羅の偽王朝が、正当な皇室(朝廷)を侵略しようとし、それに抵抗していた九州南部の民族、本来は薩摩隼人や球磨囎唹と呼ぶべき民族のことを、後に侵略した阿修羅(歴史の勝者)であるヤマト王権側が「熊襲」と呼び換えたのです。

実際には、
「熊襲」とは、正当な王朝側から見た阿修羅の集団のことをそう呼んでいたのです。

阿修羅は、九州南部の薩摩隼人の民衆(豪族)を侵略し、そのトップ(クマソタケル)に成りすましたのです。そして、次のステップとして正当な朝廷(景行天皇など)を侵略しようとしたのです。

そこで、景行天皇の息子である日本武尊が登場し、成りすました阿修羅トップを征伐し、薩摩隼人を朝廷側に取り戻したのが、本来の日本武尊の征西の話なのです。記紀は、阿修羅の都合のいいように改竄されているのです。


景行天皇の後、朝廷を侵略した阿修羅のヤマト王権によって歴史が書き換えられ、薩摩隼人が熊襲とされたのです。

本来は、阿修羅こそ熊襲熊襲=阿修羅の魂です。今後は、私が熊襲と呼ぶ場合は、阿修羅のことだと考えてください。

このように、蝦夷(えみし)や熊襲を例にとれば分かるように、歴史上は正当な集団、民族が歴史を改竄され悪役にされている例が、日本だけではなく世界中にたくさんあると思われます。

そして、それらの人々の祖先は、現代でも阿修羅によって被差別部族や集団とされていることが多いのです。歴史の改竄ほど恐ろしいものはないと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。