ホスピス医 小澤 竹俊著の「苦しみの中でも幸せは見つかる」
からも学んでいきたいと思います
小澤先生は小・中学校や高校へ行って、
「ホスピスから見たいのちの教育」という授業をされています。
そして「苦しみに直面している人に対して、
どのように向き合うか」という問題を考えるに当たって…
次のような設問を投げかけています。
Q 仲の良い友達が長年飼っていたイヌが死んでしまって、
悲しんでいます
君はどのように声をかけますか
それに対する小学6年生の答えです。
・手を握って一緒に涙を流す
・いつかは元気になるからと励ます
・楽しい話をして忘れさせてあげる
・まだ人生は長いと言ってあげる
・新しいイヌを買ってあげる
Q その悲しんでいる友達の気持ちは理解できますか
もし理解しようとしたら、
どのようにすればできると思いますか
多くの生徒さんは、
友達の悲しみを理解できると答えていました
その方法としては…
・相手の立場になって考えれば、理解できる
・同じ経験をしたことがあれば、理解できる
という、とても小学6年生の意見とは思えなかったそうです
しかし、次のような意見もあったそうです。
◆相手の立場になって考えれば、
本当にその人の悲しみを理解することが
できるのでしょうか
どれほど心を込めて相手の立場になって考えても、
その人の気持ちを100%理解することはできません
また、同じ経験をした人でも、
まったく同じ気持ちになることは、
やはり難しいと思います
ワタシはここで気をつけなければと…
感じたことがあります。
それは同じ経験をしたから、
「私はその人の気持ちがわかる」と、
思ってしまうことです
いつも初心で、「相手のことはわからない」
だから、『相手から教えていただく』という姿勢
が大切だと思いました
◆さらに、同じ経験をしたことがなければ…
悲しんでいる人の気持ちを理解できないとすれば、
いったい私たちはどうすればよいのでしょうか
小澤先生は思い切って発想の転換を行いました。
それは主語を変えるという方法です
◆従来「理解する」といった場合
誰が理解をするかといえば…
「私が悲しんでいる友人を理解する」
ことを意味しています。
この場合、主語は「私」です。
しかし、どんなに相手の立場になって推測しても、
悲しんでいる友人の苦しみを
理解できるとは限りません
そこで主語を変えます。
主語を「悲しんでいる友人」にします。
「悲しんでいる友人が私を理解者だと思う」で
考えるのです
たとえ、私が悲しんでいる友人を
100%理解できなくても…
その友人から見て、私のことを
「私の辛い気持ちをわかってくれる人だ」
と思うことができたら…
「私は友人の理解者になる」ことはできるのです
だからといって…
私が友人の悲しい気持ちを理解しようと
しなくてよいということではありません。
少しでも相手を理解しようとする気持ちを
持ち続けることは、とても大切です。
◆友人の気持ちを理解しようとする意識を持ち続けた上で、
「私が理解する人」ではなく、
「悲しんでいる友人」が、私を『理解者』と
思ってもらえる意識です
でも…
「友人が私を理解者だと思う」
となるように接していくには
どうすればいいのでしょうか
ホスピス医療現場では、
医療者が『患者さんの理解者』であると
思ってもらうことが最も重要だと考えるそうです
◆この関係を確立できないと、
患者さんの苦しみを和らげること
ができないからです
では、どんな私だったら、
相手は私のことを理解者と
認めてくれるでしょうか
それは、楽しい話をしたり、
状況を詳しく説明する『私』ではありません
その人の辛い苦しみを
じっと耳を傾けてくれる『私』が、
苦しんでいる人にとって『良き理解者』になるのです
「聴くこと」は…
苦しんでいる人にとって、
とても大切な「援助」となります
◆苦しんでいる人を「理解しよう、理解しよう」
と気負うことなく、
ただ穏やかに聴くことを通して…
『ワタシ』のことを、
いつか『理解者』と認めてもらえるときが訪れたら…
嬉しいなあと…思いました。
ホスピスの現場から、人間の尊厳、生きる意味、心の持ち方など
学べてありがたかったです