韓国語を勉強しているけど、勉強すればするほど、大事なのは母国語の国語力だと気づきます
1つの言葉だけど、それを言った人の心を表す日本語
そのチョイスは、翻訳機や辞書にはのってません
心と心のやり取りです
想像します、どういう気持ちで言ったのか…
そんな私が表現した言葉を、同じように感じてる方いたので、連絡したんです
そうですよねーって
そのやりとりの中で、あれ?と思ったのは、前日は違う言葉で表してたとおもうんだけど、そうはおっしゃらなかった
それに私が見たものもなくなってた
勘違いだったのかな??
あれれあれれ??
…とざわつく私の心
正直、私の言葉に共感してくれたのかと、嬉しかったんだけど、そうではなかったこと
でもたった1つの言葉だけど、同じ言葉を当てはめた事は嬉しかったんですけどね
何だか、隠された気持ちになったのです
でもその方がそうおっしゃるから、そうなのですよね
例え それが初めからであれ、見てからであれ、私のチョイスは揺るがないから
嘘や見栄は本人の心に残るもの
重く載しかからないなら、それは所謂嘘や見栄ではないだろう
私が揺れたのは、きっと認められたい想いがあるから。
それが私の今のポイントなのですねー
まだまだ気づきは続きます
嘘をつくことが悪いのではない
イイワルイではない
自分の心が重いか晴れ晴れしてるか?
そこが大事ですね