「人類が目覚めたとき「利他」の文明が花開く」

私たちが地球という船もろともに沈んでおぼれないためには、もう一度必要以上に求めないという自然の節度を取り戻すほかはありません。神は人間だけに与えた知性を真の叡智(えいち)とすべく、自らの欲望をコントロールする術を身につけなくてはならないのです。すなわち「足るを知る」心、その生き方の実銭が必要 になってきます。

いまもっているもので足る心かなかったら、さらに欲しいと思っているものを手に入れたところで、けっして満足することはできないはずです。これ以上、経済的な富のみを追い求めることはやめるべきです。国や個人の目標を物質的な豊かさだけに求めるの ではなく、今後はどうすればみんなが心豊かに暮らしていけるかそれが老子のいう「足るを知るものは富あり」という「知足」の 生き方です。欲しいものが手にはいらないときは、手に入るもの を欲しがれという格言もあります。「満足こそ賢者の石」知足にこそ人間の安定があるという考え方や生き方を、私たちは実践していくことが必要であるのです。

そのようなあり方が実現できたとき、私たちは成長から成熟へ、競 争から共生へという。現在はやや画餅に近いスローガンを現実のもにし、調和の道を歩きだすことができるのではないでしょうか。さ らにそのとき、利他という徳を動機にした新しい文明が生まれてくるかもしれません。つまり、もっと楽をしたい、もっと美味しいものを食べたい、もっと儲けたいという人間の欲望がいまの文明を築き上げる動機になっていますが、新しい時代においては、もっと相 手をよくしてあげたい、もっと他人を幸せにしてあげたいという、思いやりや「夢」をベースにした利他の文明が花開くかもしれない のです。

それがどのような形態や内容をもつものが、私は十分には知ること ができませんし、それこそ絵に描いた餅で終わってしまう白昼夢の類かもしれません。そこへ達することより、そこへ達しようと努め ることが大切なのです。そうであることより、そうであろうとする 日々が私たちの心を磨きます。そのようにして私たちの心が高まっていけば、知足利他の社会へ至る道程もそう遠いものではないはず です。

飲食業界においても企業は継続経営をするためだけに、私利私欲に 走っているように見えてならないことは私だけの印象であろうか。

本来の飲食業の姿勢とは、生活者に食を通して楽しみや喜び、また 健康を維持するための食事を提供することが役割でなければならないはずが、いまや企業は儲け主義に走り、ただ単に不健康な食事を提供しても儲けることができれば、「それでいいのだ」という姿勢が 店づくりや料理内容に表れていることはとても残念なことであろう。

よく損をして得をとれ(一時的には損をしても、将来的に大きな利益になって返ってくるように考えよということ)という諺があるように、 全ての飲食業の姿勢がそうであれば、不健康な料理やメニューを店の商品として提供することはないものの、顧客に支持されれば、なんで もよいという姿勢では飲食業の姿勢としては情けないことだろう(メニュー内容や素材のバランスを見れば一目瞭然であるはずだ)

しかし安ければ、その料理に群がるという顧客にも問題があるだろう が、また医食同源という言葉のごとく、食事をすることで健康を維持することや治療しようとする考え方があれば、栄養バランスのとれていないジャンクフーズを何故にたべるのか理解に苦しむことは多いことだろう。

飲食企業に求めることは、「利他」や「足るを知る」心を以て飲食店 を存続してほしいことであり、企業としての姿勢の使命を見失ってはならないことを忘れてはならない。