母に贈る父の最期のラブレター♡明治生まれの威張りたがり屋さんは子煩悩! | 2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室【大阪心斎橋駅から6分/長堀橋駅から3分】

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母に贈る父の最期のラブレター♡明治生まれの威張りたがり屋さんは子煩悩!

 

 

こんにちはー!

 

”命のスープ”の専門家中村幸子です。

 

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私中村幸子の世界観ブログ (←中村幸子はこんな人)

 

まとめ記事はコチラから

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前回は、

【新シリーズ】私の世界観ブログpart2[心身の病&考え方編」

〜健康って何?

でした。

 

 

今回は、

母に贈る父の最期のラブレター♡明治生まれの威張りたがりは子煩悩【威張りたがり症候群】

です。

 

 

現代2019年の「日本の父親」は、

どんなイメージなのでしょう?

 

これは年代によるかも

しれませんねー。

 

平成生まれの父親

昭和生まれの父親

大正うまれの父親

明治生まれの父親

 

 

私の父親は

もし今生きていたら

100歳を超える

 

”明治生まれ”の

本家の長男でした。

 

 

家のことと

子供の教育は

いっさい母親任せ

の子煩悩。

 

 

自分自身は

仕事にまい進

いつも仕事で忙しく

仕事に生きがいを感じて

懸命に頑張るお父さん。

 

 

しかし

威張りたがり屋

 

外では”いい人”だが

 

家ではいつも威張ってる

母親に偉そうにしている

 

 

子供からみると

「なんで威張っているの?」

なんですが、

父親は母親に対して

子供に対して威張ってました。

 

 

子煩悩だけれど

自分の思うようにならないと

すぐにカッとなって

怒りを爆発!

 

 

4人兄弟の

末っ子の私は

こんな出来事が

記憶の片隅にあります。

 

 

私が2歳以下

たぶんイヤイヤ期の

真っ只中だったはず

 

 

父親の言うことを

聞かなかったからなのか

 

怒った父親が

私を「押入れ」に

閉じ込めたことがあります。

 

 

びっくりして

泣きわめく2歳

 

暗いところに

閉じ込められて

「こわい〜〜〜!」

 

ますます大声で

泣き続ける2歳!

 

 

この時の

「暗さと心細い感情」

70年近くたった今も

ハッキリと覚えています。

 

 

サッと押入れが開き

母親が私を抱きかかえて

救ってくれたことも

鮮明に覚えています。

 

 

父親からすれば

自分の言うことを聞かない

2歳に対する

「お仕置き」だったのでしょう。

 

 

泣き続ける2歳に

「あ〜よしよし

、、、

まだこんなに小さいのに」

とあやす母親。

 

 

こういうふうに

自分の思うように

ならないと、

 

カッとして

すぐに手がでる。

突然怒りを爆発させる。

 

典型的な”明治の男”でした。

 

 

よく母親が耐えていた!

と今でも思いますが、

 

昔の母親はすべて

男というものは

「こういうものなんだ」

とあきらめていたから

なのでしょうか。

 

 

いいえ、

子供の目から見た母親は

父のことを心から尊敬していました。

 

 

歯科医で

大学講師として働く夫は

家でも開業して診療して

毎日が猛烈に忙しい。

 

 

そんな働き者の夫が

家で多少威張っていても

許せる母は長女だったのです。

 

 

「ただ単に威張っているんじゃない!

 

家のことと

子供のことは

すべて私に任せてくれて

いるんだから、、、」

 

という気持ちもあるのでしょう。

 

 

私の記憶にある父親は

「いつも忙しく働いている人」

というイメージです。

 

 

ゆっくり

父親と話せたことは

食事の時くらいしか

ありません。

 

 

この

「威張っている父親」

のイメージは、

5歳上の姉も同じ印象を

持っていて、

 

姉がまだ小さかった娘たちを

育てている時に

「うちは、威張っている父親」

ではないから良かった、、、」

 

と言っていたのが印象的でした。

 

 

時が過ぎ、

父は歯科大学の教授で

大学付属病院院長という役職

にある時に倒れました。

 

 

還暦を過ぎ、

すでに胃がんが

進行していて肝臓がんも、、、

 

もう手術もできない

という状態になりました。

 

 

父は入院前に

自身の死を覚悟していたのか

「母親に手紙」を書き残していました。

 

 

それは自宅ではなく

自分の教授室の引き出しの中に

しのばせてあったそうです。

 

 

その手紙は

自分があの世へ旅立つ前の

「最期の手紙」

でした。

 

 

まず、

大学でお世話になっている

仕事関連の方々に対して

 

そして

親戚や家族に対して

 

最後に

「自分の妻」に対して

 

感謝のことばを

書いていました。

 

 

 

60歳、まだまだ若い!

現役でバリバリ働いていただけに

本人はどれほど無念だったことか、、、

 

 

 

その”遺書”は

母親からすれば

「夫からのラブレター」

 

母に贈る父の最期のラブレター♡

 

 

家のことや

子供のことを

任せきりだったけれど

よく自分についてきてくれた

ありがとう!!

 

という内容でした。

 

 

母親はそれを見て

泣きじゃくっていましたが、

 

 

おそらく一生に一度しか

夫から「ありがとう!」と

言ってもらったことがなかったはず。

 

 

その一度が

あの世へ旅立つ前の

最期のラブレターでした。

 

 

程度の差こそあれ

昔はこういう両親が

ほとんどだったような気がします。

 

 

しかし、子供というのは

ちゃんと見ているものだ!

 

と思えるのは、

 

家では母親が「実権」を握っている

おサイフとともに

 

小学生の私はすでに

この事実を分かっていました。

 

 

一見、

父親が威張っているように

母親が従っているように見えても

実は、、、

 

母親が【大将】だったんだー!!

(笑)

母親が社長で、父親は営業部長!

という見方もできるんですねー。^^

 

 

 

これらのお話からの

「私の気づきと学び」は

 

明日20時に!

 

 

ニコニコ

 

新シリーズでは

 

命と健康とに

恵まれて

楽しく幸せに

生きてゆく為の条件とは?

 

についてお話していきます。

 

どうぞ、ご期待ください。

 

 

そして、下記の

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つまり、

 

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は、このブログよりも

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ラブ

 

 

 

中村幸子でした。

 

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。