【人生の成功法則】人生50歳以降の過ごし方「事例:家庭&仕事あり」”命のスープ”読本⑤
こんにちは!
「2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室」講師の中村幸子です。
前回は、【人生の成功法則】なぜ幼い子供の為の料理教室をしているのか?”命のスープ”読本④でした。
今回は、【人生の成功法則】人生50歳以降の過ごし方「事例:家庭&仕事あり」”命のスープ”読本⑤です。
「幸福学の父」と呼ばれるアメリカのエド・ディナー名誉教授が開発したディナーの「人生満足尺度」というのをご存じですか?
これ、たった5つの質問に答えるだけで、本質的な幸福度を客観的に測れるのだそうです。
ご一緒にやってみませんか?^^
人生の満足度テスト
【質問】
①ほとんどの面で、私の人生は私の理想に近い。
②私の人生は、とてもすばらしい状態だ。
③私は、自分の人生に満足している。
④私はこれまで、自分の人生に求める大切なものを得てきた。
⑤もう一度、人生をやり直せるとしてもほとんど何も変えないだろう。
回答方法:次の答えの7つから直感的に答えてください。
・まったく当てはまらない
・ほとんど当てはまらない
・あまり当てはまらない
・どちらとも言えない
・少し当てはまる
・だいたい当てはまる
・非常によくあてはまる
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【診断のやりかた】
上の①~⑤にそれぞれ、7つの答えから選んで下さい。そして、その合計点から、幸福度を判断します。
・まったく当てはまらない ➡1点
・ほとんど当てはまらない ➡2点
・あまり当てはまらない ➡3点
・どちらとも言えない ➡4点
・少し当てはまる ➡5点
・だいたい当てはまる ➡6点
・非常によくあてはまる ➡7点
【合計点で診断】
・31~35点 ➡非常に満足
・26~30点 ➡満足
・21~25点 ➡少し満足
・20点 ➡どちらでもない
・15~19点 ➡少し不満
・10~14点 ➡不満
・5~9点 ➡非常に不満
(^O^)
いかがでしたか?
ぜひやってみてくださいね。
私もやってみて、合計点は、30点でした。
・26~30点 ➡満足
これは、「非常に満足」に近い「満足」。
う~ん、当たっているかな!
って感じです。(^_-)-☆
あなたはやってみましたか?
それで、どんな結果が出たでしょうか?
ところで、私は日々、今は亡き両親たちとの対話をしている・・・と以前お話したことがあります。
寝る前などに、「今日ね、こんなことあってん!楽しかったわ~!」とか、「こんなイヤなこと、あった」とか、「こんな面白いことあって・・・」などと私のほうから報告。
すると、ちゃ~んと返事を返してくれるのです。ヽ(^o^)丿
(これ、正直、嬉しーい!^^)
で、今回の「人生の満足度テスト」を母にしてみました。
その答えは、33点 ➡非常に満足でした。
今回、「非常に満足」と本人が言う人生の、具体的な「実際はこういうふうに生きてきた」をお聞きくださいね。
母はいま生きていたら100歳を越える長寿ですが、この年代の人々は総じて【働き者】!
青春時代に幾多の戦争を体験しているので、少々のことではへこたれない強さがあります。
①20歳過ぎに結婚したら、義理の両親や父の弟たちや妹と一家7人暮らしが始まり、家事全般を引き受けていた。
私が後に感心したことは、義理の両親や兄弟の悪口やグチは一切言わなかったこと。
②20歳~50歳まで、自宅隣にあった歯科クリニックで、受付&カルテの整理&会計&掃除などをこなすだけでなく、歯科医の卵たちのごはんの世話もしていた。
彼らの夕食の御膳を運ぶのは、末っ子の私の日課でした。^^
③27歳~55歳まで:4人の子育ての期間(私が20歳になるまで)。子育てで両親の一番心配だったのは、次兄の健康状態。
次女を2歳で亡くしたので、それはそれは神経質なまでの気の使いよう。父親の口癖は「マー坊は?」(大丈夫か?の意味)
④50歳~75歳:地域の「民生委員」として、25年間ボランティア活動をし、福祉事務所に報告に行ったり、他地区の民生委員との会合に参加したり・・・。
この間、担当地域に数人いた「生活保護」を受けている人たちの相談にのっていた。
⑤60~85歳:次兄のクリニッで受付や会計の仕事を手伝う。
週に3回、自宅から1時間の場所へ通い、そちらの地域の患者さん達に「先生のお母さん」と親しまれていた。
⑥70~85歳:会員制のジムで体を鍛えていた。これは、当時の流行の先端であった”パーソナル・トレーニング”。
最初は私が一緒に入会して、母娘で週2ペースで通ううち、そこでのお友達との親交が、本人が倒れるまで続いた。
こうしてまとめてみると、母はすご~く活動的だったんだな~と感心します。
それは、職業として「〇〇の営業をやっています」では、なかったにしても、、、
母親のマネージメントがちゃんとしてなかったら、家庭も歯科診療の仕事も回っていかなかったはず・・・。
彼女は、自分から出向いて「多くの人々に出会っていった」と言うよりは、、、
つどつどの人生の局面で、こういう立場ならこういう役割と「長女的覚悟」を決めて周りの人たちとつき合っていたようです。
いろんな層の人々と、立場も考え方の異なる人々との交流。
これが、【お顔の相を観て、その人の本質を見抜く】ことができた要因かも・・・。(^_-)-☆
そして、もともと健康で身体が強かったから、これほどいろんな活動が出来た!とも言えるでしょう。
ず~と働いていたので、今ふうに給料を取る考え方で計算すると、かなりの高給取りだったはず!
母の場合、50代半ばで子育てが終了。
それからの30年は「もう一度の人生」なので、充実した人生を2度満喫した!と言えそうです。(^O^)
こうなると、50歳代で子育てが終了(子供が20歳に)、それからの人生が「幸せ鑑定」の際の【カギ】になるように思えてなりません。
人生の終盤期間にどれほど、心豊かに生き生きと暮らせるか?って大切だとは思いませんか?
それで、これからの”命のスープ”読本後半では、さまざまな生き方をしている女性に焦点を当てたい!と考えています。
どうぞ、お楽しみに~!
【人生の成功法則】人生50歳以降の過ごし方「事例:家庭&仕事あり」”命のスープ”読本⑤
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終わりよければ すべて良し。
Tout est bien qui finit bien.
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人生半分以上過ぎていても、それぞれ自分の得意分野の事を、活かして人様のお役に立てるようになりませんか。
こちらの記事は、原因不明の体の不調を卒業して50歳からの人生が変わりたい!という方に向けて大切な考え方を毎日発信しています。
23歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されるも、47年後のいま元気に「2歳~6歳さんの為の子供料理・お菓子教室」講師をしている中村幸子でした。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。