・大阪万博コンパニオン勤務からOLに。父親の入院&手術&死亡後、潰瘍性大腸炎で倒れるまで
こんにちは!
「2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室」講師の中村幸子です。
前回は、「大学生時代の【幸子の腸】はハッピー&ラッキー!」でした。
今回は、フランス語の勉強、その後のお話です。
大4の夏休みに入って、私はA航空会社の面接試験を受けました。
仕事でフランス語を使う、というそれだけの理由で。(≧▽≦)
筆記試験の後の「面接試験」は、今でもハッキリ覚えています。
A会社のフランス人ボスと2人の日本人男性から、いろいろな質問があり、最後に「応用問題」が。
”ここ大阪から京都に行きたいフランス人観光客に、どの電車に乗れば、早くつくのかを説明してください”
この面接がクリアできたのは、3年間フランス語の塾へ通っていて、ネイティブのフランス人に習っていたから。^^
1週間ほどして、なんとっ合格通知がきましたー!(喜)
「勤務先は、フランス館のコンパニオンとして大阪万博会場・・・」。
そう、私が大学卒業の年は、1970年の大阪万博開催の年だったのです!
その後は、フツーのOLとして仕事をしていたのですが、それまで元気に仕事をしていた父親が入院することに。
父の病状はこのときすでに、胃がんから肝臓がんに転移していました。(≧▽≦)
この時から、【幸子の腸】はおかしくなり始めたのです。
・月~金&土曜午前は仕事。
・土曜午前か日曜日に病院へ、お見舞いを兼ねて付き添いをしていた母の着替えや洗濯ものの交換・・・など。
・世間話をしながら、父の脚をマッサージ。
この時、脚のツボとかマッサージの本を見ながらでしたが、「脚が軽くなって楽」というので、一生懸命でした。
1ケ月半ほどして、大阪のN病院から京都のK病院へ「手術」のために転院。
手術は終わったものの、
父はもう回復の見込みなし、
でした。(悲)
私は、仕事をしながら週1で京都までお見舞いに通っていましたが、父親が日に日にやせ衰えていくのを見るのが辛かったです。
父は、手術後すぐに亡くなりました。
当時の父は、「歯科大学の教授&大学付属病院院長」という役職にあったため、葬儀もそのあと始末も大変でした。
母は、3ケ月余りの付き添い生活で痩せてしまったのですが、精神的な苦痛はいかほどか・・・と思うと私も胃がキリキリの毎日に。
お腹の調子が悪くなって、下痢がつづく・・・。
この数か月後、私は心身共にフラフラになって「潰瘍性大腸炎」と診断されたのでした。
23歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されるも、その時から結果的に47年間、生きてきた【私中村幸子の人生のストーリー】を、このブログでお話しております。
潰瘍性大腸炎で苦しんでいる状態から抜け出す【やり方】があります。
また、こういう状態から抜け出す【考え方】があります。
私の人生のストーリーから、それらの【やり方】と【考え方】を盗んじゃってください!(^_-)-☆
長いあいだ、潰瘍性大腸炎と付き合ってきた私だからこそ、あなたの今のつらさが分かります。
いま苦しんでいるあなたは決して一人ではありません。
あなたのことを理解してくれる人は必ずいます!
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最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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