第30話 四十一歳の春だから その8 | 【小説】Cafe Shelly next

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喫茶店、Cafe Shelly。
ここで出される魔法のコーヒー、シェリー・ブレンド。
このコーヒーを飲んだ人は、今自分が欲しいと思っているものの味がする。
このコーヒーを飲むことにより、人生の転機が訪れる人がたくさんいる。

「実は、先ほど食べた白いクッキーと合わせると、今欲しいことの答えを感じることができるんです。ある牧場でとれた牛乳、これをクッキーにふんだんに使っているのですが。どうやら相乗効果でそうなるみたいなんですよ」

 ということは、私はそうなる危険性があるということか…。

「マスター、じゃぁ私はどうすればいいのですか?」

「どうしたらいいか、ですか。では一つお聞きします。あなたはどうしたいとお思いですか?」

 どうしたいのか。ここでまた頭を悩ませてしまった。私はこの先、どうしたいのだろうか。家庭を壊してまで沢田さんに走るつもりはない。かといって、沢田さんと別れるというのも嫌だ。どちらも大事にしたい。そんなワガママで都合のいいことなんてできるのだろうか?

「また悩んでいるようですね。では今度は黒い色のクッキーを口に含んでもらえますか。そしてシェリー・ブレンドを飲んでみてください」

 マスターの言われるとおりにしてみた。今度はどうなってしまうのだろうか?

 クッキーを口に含むと、今度は香ばしい味わいが口の中に広がった。一瞬、草原の風景が頭の中に浮かんだ。そしてシェリー・ブレンドを飲む。香ばしさと苦味が大人の味をかもしだす。その瞬間、私が目の前に現れた。

 私は大きく腕を開いて、何かを包み込んでいた。その何かが次第にはっきりしてくる。妻がいる、子どもがいる、部下たちもいる、友人や取引先の人も。そしてもちろん、そこには沢田さんもいる。そうか、私は多くの人をこうやって包み込んでいたいのか。そうなるためのたくましい自分になりたいのか。

 ここで私は目を開けた。このとき、目の前にいるマスターがとてつもなくたくましくて大きな存在に映った。それはどうしてか? この笑顔だ。全てを包み込み、容認してくれるこの笑顔。そこに安心感を覚え、これでいいんだという気持ちにさせてくれる。そうか、私に今足りないものはこれか。

「何かわかったようですね」

「はい、今ハッキリとしたことがあります。私はもっとたくましくて大きな存在になりたい。沢田さんに対してだけじゃなく、家族にも、そして周りの人にも。全てを包み込める、そんな存在になりたい」

 そして思い切ってあることを試してみた。顔を上げ、マスターの目を見て、心の奥から楽しいことを考え、そして笑顔になる。

「そのために、この笑顔が必要なのですね」

 私の笑顔に、マスターは輪をかけた笑顔で返してくれた。

「笑顔、いいですね。あれこれ悩むのではなく、今そのものを楽しむ。そうすることで心を奪われることもなく、人生を充実させることができますよ」

 なんだかふっ切れた気がした。自分は人生を充実させたい。しかし、あれこれ悩みすぎていた。目の前にあることに気づかずに、迷いの方にしか目がいかなかった。

 このとき、あの言葉が頭に浮かんだ。

「これでいいのだ」

 バカボンのパパの言葉。今を思い悩むのではなく、今を楽しむ。これでいい、これを楽しむ。私に足りなかったのはそれか。

「マスター、ありがとうございます。笑顔で今を楽しむ。そのことを忘れていました。あれこれ思い悩むことはないんですね」

 私の言葉に、またマスターはにこりと笑って答えてくれた。

「そういえば、さっきの白いクッキーは牛乳だっておっしゃっていましたが、今度の黒いのは何が入っているのですか? やけに香ばしかったですけど」

「はい、あれは黒ごまを炒って自家製ペーストを作って練りこんでみたんです。この黒ごまもあるところから仕入れたもので」

「それで、シェリー・ブレンドと一緒に食べるとどのような作用があるのですか?」

「実はまだ実験段階でして。おそらくなのですが、どうやらなりたい自分というのが見えてくるようです。シェリー・ブレンドだけでもその効果はあったようですが、今度のは自分の未来像に焦点が当たるみたいです」

「なるほど、それであの姿がみえてきたのか。おかげさまですっきりしました。本当にありがとうございます。今日は思い切って来てよかった」

 このとき、ポケットの中で携帯電話が鳴った。妻からだ。

「あなた、買い物終わったから」

「あぁ、わかった。で、どこに行けばいいんだ?」

 妻から待ち合わせの場所を聞き、ちょっと重たくなった腰をあげる。