出る杭は打たれる、とよく言われたものです。

ただ、出過ぎてしまえば、それは誰もどうにもできないもの。

あまり調子づくと足元をすくわれるのと同じ。

どこかの党首にも、そんな匂いが感じられます。

少しできたからと言って、自信を過信経由で傲りに辿り着くことのないように、事あるごとに反省をしないといけません。

仕事やプライベートに於いても、そのあたりのことをよく見てきましたし、また、私自身もいくらも失敗したものです。

 

忘れることの多い者に対して、日報の使い方を教えました。

まず、予定として方面を入れ、その中に打ち合わせやフォローの内容を落とし込む。

まず、朝一にそれをすることによって、おおかた頭の中の整理ができるというものです。

済めば、線を引いて消せばいいだけ……。

 

ま、今更感はどうしても拭えないものの、指導力不足を痛感します。

人は、誰でも自分を基準に考えがち。

そうでないと、自分の描く結論に辿り着かないのが現実です。

ただ、足並みを揃えたり、自分とは対照的な考えを咀嚼することも大切です。

勢いとは、ある種うねりのようなもの。

どんなことにぶつかっても気になりません。

でも、年を追うごとに、保険を考えるのが世の常です。

いつまでも、感覚で仕事をしていては、伸びるものも伸びませんね。

 

スプリングスティーンの『BORN TO RUN』を初めて聴いたのが中学生の頃。

スピーカーから聞こえてくる演奏に、凄まじい熱量を感じたものです。

まさに、うねりと化した演奏と歌声。

一気に呑み込まれたものです。

歌詞の世界観は、『ライ麦畑でつかまえて』のサリンジャー。

もうひとつのサリンジャー的歌詞の世界観を持っていた佐野元春にも同時期に強く惹かれたものです。

そのあたりからですかね。

ユングの心理学に触れるようになったのは……。

おかげで、転ばぬ先の杖のかけらを少しずつ、知らぬ間に身に着けていったように思います。

でも、それは、いつも決まって、失敗した後に気づくのですが……。

ま、私の成長が、限りなく遅いのは、そういうところなのかもしれません。

ホホホ……。

 

自分が気付かないと何も変わりません。

慣れていることのほうが、居心地がいいのに決まっています。

違う景色を見たいと本当に思うのなら、努力するしかありませんね。

一生懸命取り組んでいると、必ず手を差し伸べてくれる人はいます。

人は見ているもの。

助けられたことはいくつもあるので、それは間違いのないことのように思います。

自信は、努力の裏返し。

そんなふうに思います。