気温差が5度以上……。

季節の変わり目は、年を追うごとに堪えます。

その都度、環境の変化に適応していかないと……。

ある意味、ダーウィンの進化論のようなもの。

 

いろんなことが手軽になり、また便利になった昨今。

今では恋愛相手を探したり、強盗団の仲間を募るのもSNS。

便宜性を優先するあまり、置き去りにしてきたものも多いはず……。

 

そんなことを、昨夜、レコードを聴きながら、ふと思いました。

どんなことでも同じですかね。

渦中や最中、つまり進行形の中にいると、自分の立ち位置や事の是非を正確に判断できないものです。

いつだって未然なわけですから……。

とりあえず、環境に適応することで精一杯。

いつだって、次々と目の前に現れる岐路に遭遇しては悩んでいたような……。

培った経験値だけが、答えを導き出す方位磁石のようなもの。

今では、自分が歩いてきた道のりをなぞっては、その時々の残滓を見つけ、懐かしく思うことが多くなりました。

 

よく、『記憶と記録に残る』という言葉を、オリンピック選手たちがインタビューで使っていますが、まさにそういうものでしょうね。

記憶は街角に貼ってあるポスターのように色褪せていくものの、記録はいつまでも燦然と輝いたまま。

レコードや映像は、単に記録だけにとどまらず、その時々の空気も一緒に真空パックしているように思います。

1954年、スタジオでの録音。

マイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクの間に横たわったマリアナ海溝。

レコードやCDからでも、張り詰めた空気がひしひしと伝わってきます。

淡々とウッドベースを弾いているパーシー・ヒースの思いはどんなだったのだろう、と思案は定まりません。

また、大好きな『アメリカン・グラフィティ』や『カサブランカ』のDVDを観ても、ミルナーやリックの心情に思いを馳せます。

若い頃には、レコードにしても、映画にしても、同じことが言えますが、作品としての香りを湛えているモノが多くあったような……。

そして、同時に個人的にも、忘れかけていた景色や匂いまでもが、レコードやDVDを介することで、また懐かしく蘇ってくるような、そんな気がします。

結局のところ、歳をとったということですかね。

ホホホ……。

あの頃は、家の黒電話や町の赤や緑の公衆公衆電話から、彼女の住む家に電話するのでさえ少しの躊躇がありました。

そう思うと、今はほんの少しの勇気さえ必要としなくなったものだと苦笑いです。