この頃よく思うことがあります。

歳をとった証拠でもありますが……。

 

はじまりがあって終わりがある、そんな1本の線のように人生のことを思っていました。

でも、これがどうやら違う気がしてきました。

 

誰でも当人にすれば、1本の線のように思いますが、これが他の者、動物や植物、昆虫等からすれば、自分以外のモノはすべて丸い円に見える気がします。

1本の線にしても、直線の時もあれば、蛇行したり、淀んだり、と。

円にしても、まん丸の時もあれば、楕円やひしゃげたようになったり、と。

 

1本の線が、他の円に交わり、また抜けていく、そんな繰り返しのような……。

生きているうちに何度も何度も、いろんな円に遭遇していきます。

 

線にしても円にしても、色や温度は様々。

 

そう思うと、ほとんどの事象がすっと腑に落ちます。

線と思うのは自分だけ。

はじまりや終わりがあると思うのも自分だけ。

 

円に交わる点が、円の直径あたりのいちばん長いところにあるのが夫婦ですかね。

もしくは、親友だったり。

端に行けば行くほど、交わる線の長さは短くなってしまいます。

一期一会のような……。

 

若い頃には、到底合わないような人と年月を経て笑顔で会話したり……。

思わぬ恋愛に花を咲かせたりするのかもしれません。

 

川を流れていくうちに洗練され、海へと辿り着く砂のようなもの。

見えないくらいの小さな粒かもしれないし、綺麗な貝殻のようにキラキラしているかもしれません。

それらの大きさや色合いは、いくつもの円を通過することによって変わってくる気がします。

 

輪廻転生は、その円の中で繰り返していくのではないですかね。

次の周回は、どんな道のりを辿るのか、また、前回の周回はどんなだったか……。

そんなことをを思い巡らしては独り笑いです。

 

多岐川裕美が歌う、『シャツのボタン 2つ外しただけで……』の『酸っぱい経験』。

松田聖子が歌う、『なつかしい痛みだわ ずっと前に忘れていた……』の『Sweet Memories』。

矢沢永吉が歌う、『Oh, Baby そのまま もっと 話してくれ……』の『苦い涙』。

振り返れば、いつもそこに歌がありましたね。

気持ちに優しく寄り添ってくれるような……。

 

高校生の頃、リアルタイムで聴いて、歌詞の世界観に憧れた柳ジョージの『コインランドリー・ブルース』。

今でも時々、レコードではないけれど、CDで曲を聴きながら、歌詞の世界を静かに揺蕩う時があります。

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俺たちは ただの魚さ

河の流れまでは変えられない

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久し振りの京都タワー。

先日、家内と祇園花月にお笑いを見に行った時の写真です。