今日は、かなり冷え込みますね。

先ほどあられが降ってきました。

もう、すぐそこには冬。

年々、秋の存在感が薄れていきます。

 

中学生のころまでは、そこそこ本音が主流を占めるものの、高校生以上になるにつれ、建前が表に出がちに……。

大人になれば、『忖度』という歪んだ思いやりが巾を利かせてくるものです。

でも、それはそれで必要なことではあるものの、その時々では足かせにもなります。

 

先日のイベントは、改めてそんな思いを巡らす機会となった気がします。

 

 

そのあたりは、見過ごされがちですが、本当は大切な要素。

誰がプロデュースするのか、レコーディング・エンジニアは誰にお願いするのか……。

昔も今も演奏家たちは気をつけているように思います。

 

山下達郎は、確か、思い通りにしたくてスタジオまでこしらえたように記憶しています。

 

 

1950年代以降、それぞれのレコード会社のプロデューサーが、こぞってレコーディング・エンジニアにとルディ・ヴァン・ゲルダーに白羽の矢を当てる所以かもしれません。

その他にも、いろんな要素はあったにせよ……。

 

ただ面白いのは、レーベルの違いによって――同じプレイヤーにもかかわらず――音の表情が微妙に違うことです。

ブルーノートにおけるソニー・ロリンズの『ニュークス・タイム』とプレスティッジでの『サキソフォン・コロッサス』。

両盤とも同じレコーディング・エンジニアによるものです。

 

おそらく、そのあたりの義理的忖度が働いた可能性は否めません。

ポール・デスモンドは、自分名義のレコーディングにはピアノの楽器はありません。

その代わりにギターを当てています。

デイヴ・ブルーベックに対してのすみ分けを意識していたのかもしれません。

個人的な解釈ですが、本当のところは雲の上ですが……。

 

お得意先でも、常務が社長に意見しつつも結局は折れる、というシーンにはよく出くわします。

 

本音の在り処は、いったいどこにあるんでしょうね。

年を追うごとに見失いそうになります。

 

ま、最小のコミュニティである家族、それと信頼できる友人知人の中では、煌びやかな鎧は必要ありませんけどね……。

ホホホ……。