昨日は、家族でジャズ・コンサートに行ってきました。

コンサートというより、ライブに近い感じです。

演奏者との距離感は、少し長め……。

 

以前、同じ場所で市原ひかりを擁したクインテットの演奏を聴きました。

その時は、なんと1メートルほどの距離で彼女のトランペットを堪能したのを覚えています。

その時は、すべての楽器はマイクを通さずに、ライブな音がストレートに響いていました。

 

後援、協賛も私を含め地元です。

手作り的要素の演奏会のためか、音響的に総崩れな印象を持ちました。

今回は、全ての楽器がマイクを通していたので、それぞれの音が主張し合って聞いていてもしんどくなる感じ……。

初参加させて頂いた前回のセッション会場のほうが、音のまとまりがよく聞こえたのは、本当のところ、私だけではないはず……。

それぞれのプレイヤーの力量のレベルが高いだけに、そのあたりが残念に思いました。

 

でも、あんなふうに堂々と吹けるようになりたい、とそんな思いも同時に残りました。

 

バランスというものは、本当に難しいですね。

また、携わった方たちの心意気にも感服いたします。

でもね、仲間内で『よかったね』、と慰め合うようではいつまでたってもよくはならないものです。

気持ちは痛いほどわかりますが……。

 

 

斯く言う私もその一人です。

やっぱり、一丸となって取り組んだ仲間たちにねぎらいの言葉をかけてしまいがちに……。

でも、次の機会には総括的な場を設け、それぞれが意見を出し合い、次へと繋げていく努力をします。

 

そのあたりが、結局アマチュアとプロの差が出るのでしょうかね。

高慢ちきな物言いをするつもりはありませんが、それらの現象は至る所で見受けられます。

 

仕事に対する思いと趣味趣味に対しての思いの差も、同じ土俵で話せることのように思います。

 

 

そんな思いも、若い頃はまったく気にせず……。

思いつきが最優先、失敗したら失敗したでしょうがない的な気持ちの軽さ……。

 

 

前回、ブログに書いた中学生という駅を抜け、高校の門を潜り抜けた頃。

とにかく、『大人』という存在に近づけたうれしさを強く感じたものです。

 

中学生の頃の横浜銀蝿的なファッションからアイビーへ。

学校帰り、書店で手に取る雑誌は『メンズクラブ』と『スイングジャーナル』。

本町通りの中ほどにあった、宮津で唯一のジャズ喫茶『スイング』には、ほぼ毎日顔を出していました。

そして、通りを挟んだ向かいには『リーガル』の靴をいくつも並べていた靴屋さんが私のかかりつけでした。

 

『アメリカン・グラフィティ』に触れてからは、アメリカへの憧れが心の隙間まで浸透していきました。

ノーマン・ロックウェルやJ.D.サリンジャー。

マーク・トゥウェインに佐野元春あたりが、私の中で燦然と輝くアイドルになっていました。

 

『粋』なことに対してのアンテナが鋭く研ぎ澄ませれていくと同時に『勘違い』という副産物も同じように助長されていったように思います。

 

京都外国語大学に落ち、関西外国語大学に入学するも1年で退学。

翌年、神田外語学院今の神田外語大学へと進みます。

 

この時点でも、両親にはかなりの迷惑をかけたもの。

今でも反省は続いています。

 

見返りを求めない両親の思い。

感謝しきれません。

 

今では、時々実家に顔を出しては両親と他愛ない話をする間柄。

日常のありがたみをしみじみと感じる瞬間でもあります。

 

 

 

自分(たち)に何ができるのか、相手は何を望んでいるのか、それらのバランスを保ち、最善を尽くす……。

相手からお金を頂くのであればなおのこと。

 

そんな気持ちで、仕事に向き合っているつもりです。

 

ま、やっぱり、高慢ちきですかね~。

 

私の中での高慢ちきは、なんと言ってもマイルス・デイヴィスです。

でも、マイルスがひと吹きするだけで、フレーズに緊張感が溢れてくるのはさすがです。

他のプレーヤーと大き違う存在感には脱帽です。

70年代後半にスランプに陥り、1981年に復帰後初のスタジオ録音盤をリリース。

そのレコードを買って、ターンテーブルに載せては『これが、マイルスか~』と意味もわからずに大人びた気分を味わっていた高校生の私。

今では、そのCDを時々聴きつつ、そんな茫洋とした思いに耽っていた高校生の頃の自分に幾度となく苦笑い……。

これも、おすすめの1枚ですね。

マイルス・デイヴィス『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』