どんなことも、フラットにして見ていけば、自ずと真実が見えてくるもの。

それを個人的な感情が靄となって、正体をぼやかせてしまいます。

 

相手が生きていない場合、生きている当人の供述からしか判断できない事例は、小説の世界でも多々あることですね。

 

結局のところ、その本人の良心に頼るところが大きいのは事実。

 

それが、真相であるかどうかは、つまるところ二の次といったところですかね。

 

 

年を追うごとに斜めに見てしまうのは私だけではないはず……。

 

 

よく、公正公平に、と耳に入ってはくるものの、世の中自体が不公平の上に成り立っているのは当然のこと。

その上で、その時々の情勢の中で、『得なほう』に入るか『損なほう』に入るかは運次第。

そう思っていれば、かなりの確率でストレスは減っていきます。

 

 

コンプレックスのようなことも同じですかね。

自分が思っているほど、他人は気にしていないもの。

些細な憂鬱は風に流して、気持ちは前向きに……。

 

 

ふと思い出すのは、『ラッキー・リップス』という曲。

力強いルース・ブラウンの歌唱は、目の前に何があろうとも突き進む強さと元気を、聴いているこちら側に届けてくれます。

50年代のアメリカ……。

まだまだ黒人にとっては生きづらい時代だったのでは、と思いを馳せます。

あのマイルスでさえ、店先で煙草を吸っていただけで、白人警官たちに血だるまにされたという逸話があるくらいです。

 

どんなことも小さな一歩から……。

わかってはいるものの、勇気を持たずに流される自分がいるのも事実。

結局は、小さな器だってことを自ら認めざるを得ないという始末です。

ま、それが人間だということも、ある意味間違いではないような気もしますが……。

だからこそ、まだ見ぬ地平への憧憬に胸を高鳴らせるのかもしれません。

 

 

今事務所で流しているのは、『コードを学ぶためのジャズ・エチュード集』の模範演奏です。

今年の11月に『ジャズ・イン・Tango』のイベントがあります。

プロのミュージシャンを招待するとのこと。

協賛金の依頼も快諾済みです。

胸が高鳴ります。

いつか、『ジャズ・イン・Tango』の方々とご一緒できるようになりたいものです。

マイルスの『枯葉』のように、音数は少なくとも存在感のある演奏に心底憧れます。