今朝も寒かったですね。

フロントグラスに薄く氷が張っていました。

車内温度はマイナス1℃。

でも、この冬は雪が少ないぶん、とてもラッキーです。

 

毎度の年賀状。

筆文字で書かれた宗ちゃんの文字。

ちょっと意味不明なところもあるものの、眺めては頬が緩みます。

 

 

70年代の猥雑な空気感をまだ少し纏っていた80年代初頭。

新浜通りや魚屋町通りでは、ラウンジと称する店やトルコと小さく書かれた看板を通学時に目にしたものです。

宮津にあった唯一のジャズ喫茶『スウィング』。

オーナーは『本町ホール』というパチンコ屋。

初めて扉を押し開けたのは高1の冬。

意を決して、という感覚でしたね。

違う世界が待っているような、そんな茫洋とした期待が胸に広がったのを覚えています。

 

 

高校生の頃、よく大阪に連れて行ってもらったものです。

ミナミあたり。

心斎橋や戎橋。

人と肩が当たるたびに、クルッと振り返るマスター。

勘弁してくださいよ~、なんてよく言ったものです。

ある意味、おっかない人でしたからね~。

 

私が東京にいた頃、マスターから電話をもらいました。

結婚したこと、東京に遊びに行こうと思っていること、と報告もらった時はとても光栄に思ったものです。

高輪のホテルをリザーブ。

そして、夜は歌舞伎町にあったオールディーズのライブハウスで生演奏を背にして3人でツイスト。

二人ともとても喜んでくれました。

 

〇〇宗一、という名前を見るだけで、いろんな思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡ります。

昨年の賀状には、古希への道へとなんとやら的なことが書いてありました。

65歳を回ったのかな、と思い浮かべては独り笑い。

 

 

これは高3年の時、店内で撮ってもらった写真です。

紺のブレザーに白のオックスのボタンダウン。

パンツはロイヤルスチュアートのタータン。

『メンズクラブ』伝授のバリバリのアイビー・ルックです。

 

 

今は駅前の店でマスターとして働いていると聞きます。

私にとって、宗ちゃんは、いくつになっても兄貴のような存在……。

今度、バイクでその店に寄ってみようと思います。

あの時初めて頼んだのは、ブレンド・コーヒー。

通称『ホット』。

そして、初めてリクエストしたレコードは、スタン・ゲッツの『ゲッツ/ジルベルト』。

ハード・バップにハマっていた当時の私にとっての変化球のようなものでした。