この前の日曜日は、アルトサックスの先生が出演されるコンサートに家内と行ってきました。

小さなホールで行われたほのぼのとしたコンサート。

母の日コンサートと題し、一部はマリンバと朗読、二部は二胡、ピアノ、アルトサックス、マリンバの共演です。

楽屋へとお土産を持って行って、先生とそのご主人と少しの世間話。

先生のお腹は、ずいぶんと大きくなっていました。

 

今日は、主人はマネージャーです。

と笑顔で先生。

そりゃ、そうでしょう。

車の運転だって、心配でしょうから。

と私。

 

そして、

生まれた時は、絶対泣きますよ。

とご主人に伝えました。

 

演奏が終わり、先生に挨拶をして、ホールをあとに。

近くの花屋さんに立ち寄って、ハイビスカスを買いました。

 

一昨日、伊根に配達があったので、その途中に実家に立ち寄り、それを手渡しました。

 

もっともっと、という意識が強い若い頃は、茫洋と広がる夢に情熱が追いつこうと必死です。

向かい風の勢いを体感していくうちに、自分の立ち位置がわかってくるというもの。

それは、挫折でも諦めでもない確かな覚悟。

でも、そこが本当の意味で自分を育ててくれる場所。

そんなふうに思えるのは、歳をとった証拠ですかね。

 

クラシックを聴きはじめたのは高校生になってから。

加藤和彦のレコードがきっかけです。

初めて買ったのは、『あの頃、マリー・ローランサン』。

そこから遡って聴いていました。

ヨーロッパ三部作のうちの1枚です。

その中に収録されているサティの『お前がほしい』が、当時ひどく印象に残ったのを今でも覚えています。

坂本龍一によるピアノ演奏でした。

 

アルゲリッチとクレーメルのヴァイオリン・ソナタをきっかけに、さらに深く掘り下げていくようになります。

そのせいで、洋の東西を問わずクラシックのレコードやCDが時が経つにつれ増えていきました。

 

若い頃は、こうでなければ、という意識がどんなことにも強かったような気がします。

いつもTPOには気を遣っていなような……。

多分にメンズクラブの影響が強かったように思います。

 

何年か前に、みやづ歴史の館に於いて、菊池洋子の演奏会がありました。

すぐにチケットを手に入れ、家内と一緒に向かいました。

なんせ、こんな田舎で、一流の音に触れる機会は滅多とありません。

モーツァルト国際コンクールで優勝。

そんな彼女のCDは4枚ほど持っていますが、その時、演奏された現代曲が他のモノよりも鮮烈に頭に響きました。

初めて聴く楽曲は、音を追う緊張感の連続です。

旋律には予定調和はなく、刹那的な耽美に満ちた空間です。

そのあとCDを探しましたが、見つけることができず落胆したものです。

これは、今でもよく聞く1枚。

 

その瞬間にしか触れることができないからこその美しさ、というものは、どんなモノにも共通していますね。

辿ってきた道のりの中で遭遇した景色の一つ一つが、結局は今の自分を作り上げてきたように思います。

いいか悪いかは棚に上げておいての話ですが……。

 

どんなことも、あとになって気づくもの……。

しないで後悔するよりも、してみて納得するほうが、潔く日々を送ることができるというものです。

 

今は、趣味の範囲ではあるものの、オレンジ・エキスプレスにさらりと乗れるように、と1人ホームに立っては、無理のないペースで練習している感じです。