このところ異常気象が続いています。

 

雪が降らないと足元がいいので集客もよいのかと思っていたら、温泉宿やカニを前面に打ち出しているところの売り上げは前年を割っているとのことです。

 

妙なもので、ちらちらと雪が舞うことのない温泉は風情がない、とお客さんからの評判も今一つのようです。

 

肉抜きの牛丼やウォッカ抜きのモスコミュールと同じなのかもしれません。

 

どんなことでも、それ相応の様相や雰囲気というものは大切なもの。

 

でも、型にはまりすぎてしまってしまうこともあまりよくはありません。

 

それは、変化に対する推進力を削いでしまいます。

 

ボブ・ディランやマイルス・デイヴィスだって、大きな時代の流れの中でスタイルはずいぶんと変わりました。

 

それは、呼応したり、阿るわけではなく、自らの意志で新しい大地を切り開き、新たな水の通り道を作り上げたもの。

 

誰だって、前を向いて立っている以上、考え方や感じ方は変わっていくもの。

 

 

逆に、変わってほしくないものもあります。

 

陽射しのようにきらきらした好奇心や青いガス・バーナーの炎のように静かなる探求心です。

 

誰もが通過するであろう甘くも苦い1シーンを切り取ったような小説や映画、音楽などは、いくつになってもその時々の熱量をそのままに記憶の淵から呼び起こしてくれます。

 

煙草をくわえ、煙草に火をつける。

 

昔買ったロンソンのクロコダイルの革巻きのオイルライター。

 

オイルが乾かないように考えられた痕跡のある構造も、現在のものは簡易的な作りへと仕様変更されています。

 

コストや利便性を追求していくことで、直接的に感じることのできない温度そのものを失っていくような気さえします。

 

 

コンビニのコーヒーは確かにうまいのかもしれません。

 

でも、コーヒー専門店で芳醇で深い香りを嗅ぎながらカップに口をつける、そんな行為自体が好きなのかもしれません。

 

煙草に火をつけて、ゆっくりとした時間の中で、窓からの景色をぼんやりと眺める。

 

古い人間なんですかね、結局……。

 

 

1曲目の『コンファメーション』から凄いですよ。

若さに任せて演奏していた頃の情熱の面影を感じさせます。

削られて海へと辿りついた石のような演奏です。

50年代のヴァーヴに残したパーカーのアルバムのように、緊迫感や煌めきこそ失ってはいるものの、“うまいなぁ”、と思わせるのは一流の証ですね。

好きです、『アイム・オールド・ファッションド』。