昨日は、天気のよさに誘われて、50ccのバイクを走らせました。

 

XR50です。

 

若い頃、XR250Rに乗っていましたので、懐かしく思い購入した原付。

 

身体に巻き付いている鎖を振りほどき、ぶらり旅なんかはやっぱり原付がいいな、と思います。

 

家の軒先を通過する際に、肉じゃがの匂いなんかが鼻孔をくすぐってきたり、小さな峠に差し掛かれば、ゆるやかな川のせせらぎに視線を落としたり……と。

 

 

 

そう思うと、若い頃は感覚的にずいぶん尖っていたような気がします。

 

革底の靴でなければ、靴ではない……。

 

ジャズはやっぱりハードバップに限る……。

 

チェンポケ付きのジャケットでないと、ブリティッシュとは言えない……。

 

こうでなければ、という執拗なまでの固定観念に囚われた自己顕示の塊だったように思います。

 

そんな微妙に歪んだ物差しで、世の中を景色を見ていた気がします。

 

小さいというか、幼いというか、それもある意味、自己の承認欲求の表れからかもしれません。

 

今巷を賑わせているバイトテロ。

 

勘違いも甚だしいと思います。

 

人の目を惹いたり、周りから賞賛されたりすると、気分も高揚し、一つ上のステージからの光景に酔ってしまうかもしれません。

 

でもそれは、詐欺に遭われた方と同じような自己防衛本能から生まれる錯覚にすぎないと思うのです。

 

相手の真意を注視して探る用心深さを見過ごしてしまっているからです。

 

私のまわりにも、裸の王様はいらっしゃいます。

 

誰も、その王様を諌めることはしません。

 

 

今朝、嬉しいことがひとつありました。

 

どうかな、と思いながらもずっと毎日エサをやっていたメダカの鉢に、なんと一匹水面に浮かんでいるのを見つけました。

 

じっとしたまま、尾ひれを小刻みに動かしています。

 

まるで、寒さをじっと堪えるように。

 

キリン気分でいることの本当の意味がわかったような気がして、照れくさくも苦笑いです。

 

これまでに焦る気持ちに急き立てられ、自分の手のひらの指の隙間から、どれだけ多くのものを失っていったのか、と思うと感慨もひとしおです。

 

 

相手がいる以上、すべてのことが思い通りとはいかないもの。

 

それは、相手も同じように思っているかもしれないから……。

 

 

『シェルブールの雨傘』で有名な『I WILL WAIT FOR YOU』という曲。

ルグラン絡みの演奏はどの方とされてもやはり素敵なのですが、ボーカルなしのインストルメンタルにおいては、ビージー・アデールのものが群を抜いて素晴らしいと思います。

夜の帳を縫うようなトランペット、続くのは優しく思いを紡ぐギター。

そして、彼女のさりげなく歌うピアノ。

相手を想う気持ちに一抹の不安が混じる雰囲気がとてもうまく表現されているようで、私は眠りにつくときにこのCDをよく聴きます。

BEEGIE ADAIR & FRIENDSで『JAZZ & THE MOVIES』。