昨日は、遅めの暑気払いでした。

 

順を追ってに出される料理の説明を聞いて、

それから箸をつけていく。

 

時々、理解できず、二度聞きしたりしました。

 

やっぱり、おいしいものを頂くと、しあわせな気持ちで心も身体も満たされます。

 

 

そこで、社員から興味深い話が出ました。

 

3人子供がいて、いちばん下の小学3年生の女の子の友達のことです。

ある休みの日のお昼前、突然遊びに来られて、その社員は困ったそうです。

これから子供たちと昼食をとろうとしていた矢先の訪問。

 

「ごはん、食べてきたの?」

と尋ねると、もう食べた、とのこと。

 

彼は思うところもあって、「うちは、これからだけど、一緒に食べるか?」

と誘うと、喜んでお昼を一緒に食べたそうです。

 

また別の日、その子が遊びに来て、帰ってから、物が無くなっていることがあったりと……。

 

 

処世術のようなものは、自然と身についていくものです。

自分を大きく見せたり、ごまかしたり、時にはまるっきりの嘘をついたり……。

 

自分の子供に対しては、絶対してはいけないこととして、厳しく教えたつもりです。

私自身の経験から、そういったことは大人になれば、本意とは無関係にしなければならない時があるからです。

ただ、子供の時から自己欺瞞に陥ってしまうと、根本のところの何が正しくて何が悪いのか、の判断基準を見失ってしまうと思うのです。

 

どういう形がいちばん正しいのか。

それは、正解を持たない深い問題です。

必ず個人差がある以上、その数だけそれぞれの心のひだにぴたりと当てはまる答えはあると思います。

でもそれは、いくら目を凝らしてみても見ることはできない。

推し量ることで、お互いの距離を縮めていく。

 

人は、自分とは違う考え方やモノの見方をする人をとかく敬遠しがちです。

かくいう私も確実にそういう範疇の人間です。

 

自分と波長が合わない人を無理に理解する必要はないと思いますが、

その背景を心の片隅に置いておく、というスタンスは大切なことのような気がします。

 

嫌い、がいつのまにか親切へと変わっていく。

 

人は誰でも、悪いことをしてもいい、とは本当は思っていないと思います。

 

でも、権力に呑みこまれた傲慢さには、嫌悪感を一気に通り越し、どうにも呆れ果ててしまいます。

 

 

ブルース・スプリングスティーンで『NO SURRENDER』。

あの頃のスプリングスティーンは、本当に勢いがありましたね。

高校生の頃、暑い夏によく聴いていました。