特別展示『海の人類史 – パイオニアたちの100万年』
現代の私たちは、海から多くのものを得ていますが、そのような今は、旧石器時代にはじまった祖先たちによる海の開拓史の上に築かれたものです。
最新の研究によれば、3万8000年前頃に現れた「最初の日本列島人」は、漂流民ではなく、困難な海を渡ってきた「航海者」でした。巨大マグロを捕えるなど、その後に続いた縄文人の海への挑戦も、見逃せません。そんな祖先たちが海で成し遂げてきた数々のことからは、「人間の力」の大きさを思い知らされます。
しかし現代の私たちも、海への挑戦をやめたわけではありません。現代人は海で何をしようとしているのか―本展では、海運業におけるその最前線の一端を紹介します。そこでは高機能の追求を超えた思想的な革新が起きており、人類と海との関係が新たなフェーズに入りつつあることがわかります。
本企画では、東京駅前のインターメディアテクの特別展示スペースにて、人類の海に対する100万年の挑戦史を、学問とアートを融合させるインターメディアテク独自の手法で展示します。この展覧会が、私たちと海との関係を見つめなおす機会になることを願っています。
第一部 先史時代の挑戦
右:身長155cmの沖縄の旧石器人
ウォレシアと呼ばれる地域は水深が深く、大陸から渡るには少なくとも30km-40kmの海峡を越える必要があった
そのため「人類として初めてウォレシアへ来たのは舟を発明したホモ・サピエンス」と考えられていた
それを覆したのが6万年前の地層から発掘されたフローレス原人である
沖縄の旧石器人が手に持っているのは、モクズガニ。(モクズガニの展示もありますよ)
サキタリ洞からはモズクガニが大量に出土したそうです。旬の時期に洞窟にやってきてモズクガニを食べる・・・という行動を30000~10000年前まで続けていたそうです。
刃部磨製石斧(清水市清水柳北遺跡・後期石器時代前半期)
刃先だけを磨いた石斧
旧石器時代の磨製石斧は世界的にも大変珍しいが、3万年前をさかのぼる最古の例は日本とオーストラリアで知られている
貝輪入り蓋付き土器(古作貝塚 縄文後期)
前列5点がオオツタノハ製
右が参考のための現生標本オオツタノハ
伊豆諸島では三宅島以南に生息し、波が強く当たる岩場に張り付いていることが多い
突然ですが、NHKで放送された「英雄たちの選択ー追跡!古代ミステリー 海の縄文人」をご覧になったことありますか?
動画のリンクも貼ってあるので見ていただきたいのですが、オオツタノハはすごーく危険な場所に生息しているんです。命がけで採ってきたものなんです。
滝の口遺跡
明治34年に縄文人が伊豆諸島へ来ていたことを明らかにした最初の発見
縄文遺跡が伊豆諸島広域に分布していること、縄文早期中葉から進出が始まっていたこと、島に定住していたこと、本土とも密な往来があったことなどがわかっている
八丈島に行くには黒潮を越えなければならない(黒潮の大蛇行時は流路が変わる)
この島に縄文人が現れたのは7000年前頃であった可能性がある(湯浜遺跡)
その1500年後に本土で生産された縄文土器と石製品を携え、犬とイノシシを連れた集団が、八丈島に渡来して集落を築いた(倉輸遺跡)
本州から持ち込まれた石製品・矢じりと琥珀玉
(八丈島倉輸遺跡・5500年前)
矢じりには、神津島産黒曜石が使われている
琥珀玉は、銚子産琥珀を利用して当地で作られたと考えられる
本州から運ばれたイヌの歯(八丈島倉輸遺跡)
他にもいのししの骨もたくさん見つかっている
本土から連れてきたイノシシを野に放ち、それを狩っていたと思われる
上腕骨(愛知県保美遺跡)
「縄文マッチョ村」・・・調査した男性20人全員が、全国の縄文~古墳時代男性平均値を超えていたのでこの称号をつけた
以前行った東大の企画展でも展示されていました。
本州から900km離れた小笠原諸島(八丈島から700km)は、縄文文化が及ばなかった
しかし2000年前ごろに別の集団が来ていた
この集団の素性は確定していないが、600km南のマリアナ諸島から北上してきたのではないかと思われる
土器(石野遺跡・小笠原諸島北硫黄島 2000年前)
表面に文様は無い
縄文土器のように粘土紐を積む製法ではなく、薄く伸ばした粘土ブロックや粘土板を重ね合わせてつくっている
石器 パウンダー(石野遺跡・小笠原諸島北硫黄島 2000年前)
叩き潰したり、すりつぶしたりするための道具
パンノキの実をつぶしてプディングにするなどの目的で、太平洋諸島において広く用いられていた
右・中央が石野遺跡出土、左がハワイ出土です。
円筒石斧(小笠原諸島北硫黄島)
このタイプは、マリアナ諸島に特徴的に分布
当地で帆のある航海用カヌーの建造などに使われていた
最下部が完成品
丸木舟を知る…映画「スギメ」
当時の海上交通を担ったのが「丸木舟」だと考えられています。
その丸木舟を試行錯誤して再現させ、台湾から与那国島までの航海を成功させたドキュメント映画「スギメ」の映像の一部が上映されています。
主催: 東京大学総合研究博物館
協賛: ファーマライズホールディングス株式会社、
株式会社商船三井、一般財団法人日本海事協会、
一般財団法人山縣記念財団
後援: 東京大学海洋アライアンス連携研究機構、日本航海学会、
日本船舶海洋工学会
企画協力: 東京大学海事デジタルエンジニアリング講座(MODE)
第二部 現代のチャレンジ
本格的な帆船が登場したのは数千年前
やがて3500~1000年前にタヒチ・ハワイからイースター島まで進出した古代ポリネシア人が現れる
15世紀のヨーロッパではさらに発展椎、大後悔時代が始まる
しかし18世紀後半に蒸気機関線が登場してから、船の動力は石炭や石油にとってかわられる
やがて海上輸送の現場において、帆船は衰退していった
現代には興味がないのでスルー(笑)
この日(7月15日)は、講演会 『海の人類史 原始×現代』に参加しました。
1.「人類の海への挑戦はどのようにはじまったか? 旧石器~縄文時代」・・・海部陽介(東京大学総合研究博物館 教授)
2. 「CO2排出量削減への航海 – ゼロエミッション船実現に向けて」・・・山口 誠(株式会社商船三井 エグゼクティブフェロー)
3.「海上の安全と海洋環境を守る」・・・佐々木吉通(一般財団法人日本海事協会 デジタルトランスフォーメーションセンター長)
4.「ゼロへの挑戦 Greener and Safer Ships」・・・村山英晶(東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授)
ウインドチャレンジャー「蕉風丸」
硬い素材を使った帆「硬翼帆」を使って風力エネルギーを推進力に変換し、科学燃料消費量を減少させ、環境負荷低減をめざす
ウインドハンター
ウインドチャレンジャー帆の技術に加え、帆走中に水中の発電タービンを用いて発動し、水電解で生産した水素と、水素キャリア・燃料電池による安定エネルギー活用技術を組み合わせている
お話を聞いているうちに興味がわいてきて、もう一度船を見に戻りました(笑)