斐伊川は奥出雲の船通山から出雲平野を流れる大きな川です。
古事記では「肥河(ひのかわ)」、出雲国風土記では「出雲大川」と書かれ、上流はスサノオのヤマタノオロチ退治の舞台として有名です。
年末に書いた古事記の続きです。
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亦「汝が哭く由は何ぞ」と問ひたまへば、
答へ白言しけらく、
「我が女は、本より八椎女在りしを、是の高志の八俣の遠呂智、年毎に来て喫へり。今其が来べき時なり。故、泣く。」
とまをしき。
爾に「其の形は如何。」と問ひたまへば、
答へ白しけらく、
「彼の目は赤加賀智の如くして、身一つに八頭八尾有り。亦其の身に蘿ち檜椙と生ひ、其の長は谿八谷岐八尾を度りて、其の腹を見れば、悉に常に血爛れたり。」
とまをしき。
<訳>
「どうして泣いている?」とスサノオが尋ねると
アシナズチは答えて、
「私達の娘はもともと8人いましたが、高志からきた八俣の遠呂智(ヤマタノオロチ)が毎年やってきて食べられてしまいました。またその季節がやってきました。だから泣いているのです」
ヤマタノオロチとはどんな形なのか尋ねると、
「目が真っ赤で、1つの体に頭が八つ、尻尾が八つある。体には杉や檜がが生え、八つの谷と八つの峰におよぶ大きさで、腹は常に血がしたたっています。」
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それを聞いたスサノオは、ヤマタノオロチを退治する方法を教えました。
「強い酒を造って、垣根を作りその中に8つの門を作って酒を入れた桶を置きなさい」
しばらくするとヤマタノオロチがやってきて、酒を飲み干して酔って眠ってしまいました。
草枕山
山の手前赤川、その左奥には斐伊川が流れています。
酔っぱらって寝てしまったヤマタノオロチの頭は草枕山(くさまくらやま)、尾の先端は草枕山の南400mの御立藪(おたてやぶ)にあったといわれています。
ヤマタノオロチは最低でも400mの長さがあったということですよね!
御立藪
車のすぐ後ろのきが茂っているあたりが御立藪。その向こうには斐伊川が流れています。
「神仏の通い路」の看板が立っているのは県道197号線です。
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爾に速須佐之男命、其の御佩しませる十拳剣を抜きて、其の蛇を切り散りたまひしかば、
肥河血に変りて流れき。
<訳>
ハヤスサノオノミコトが身に着けていた十拳剣(トツカノツルギ)を抜いて、その蛇を切り刻むと、
肥河(ヒノカワ)が血で染まり流れていきました。
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尾留大明神旧社地
御立藪の地にオロチの尾が留まったことから、尾留(おとめ)大明神。
斐伊川の氾濫で川床が上がってしまい社地が低くなったので、1744年に大津の丘陵中腹に移転され、さらに大正元年に日吉神社社地に移転、現在の御代神社となっているそうです。
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故、其の中の尾を切りたまひし時、御刀の刃毀けき。
爾に怪しと思ほして、御刀の前以ちて刺し割きて見たまへば、都牟刈の大刀在りき。
<訳>
尾を切っているとき、剣の刃が欠けました。
怪しいと思い、剣の先で尾を刺し裂いて見ると、都牟刈の大刀(ツムカリノタチ)がありました。
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このツムカリノタチがのちの「草薙剣(クサナギノタチ)」です。
頭の方は、草枕山の東200mの所に八口神社があります。
雲南市加茂町神原九八番地
八口神社
祭神:素盞嗚命
出雲国風土記には「矢口社」、また延喜式には「八口社」と記載されています。
また、大蛇が八塩折りの酒に酔い草枕山を枕に伏せっているところを須佐之男命が矢をもって射られたので矢代郷、式内社矢口社という。
これは3枚目に載せた写真と同じものです。元高校教師のガイドさんに「草枕山」と教えてもらい、矢口神社から撮りました。
けれど帰ってきてからグーグル地図で調べると、この写真よりももっと左の山(この写真には写ってません)が「草枕山」と表示されるんです。
私がガイドさんが指す山を間違えて撮ってしまったんだと思ったんです。また勘違いしちゃった💦って。
でも下の記事を見つけて、納得がいきました。
赤川は、江戸時代の安政年間まで草枕山の東南方を迂回して斐伊川に注いでいたが、度重なる水難のため山を真二つに切り開き流れを変え、現在に至っている。
- 左の山(グーグル地図の草枕山)も右の山(ガイドさんが教えた草枕山)も元々1つの山で、「草枕山」という名前だった。
- 赤川の氾濫がたびたびおこり、とうとう「草枕山」を2つに切り開いてしまった。
- なので、グーグル地図もガイドさんも間違いではない。
ということがわかりました。
でも、もしかしたらガイドさんはそこも説明してくれていたかもしれない・・・私が聞き逃しただけかもしれない💧







