今回の古墳ぽは、千葉県船橋市にある「飛の台史跡公園博物館」でした。
敷地内には「飛の台貝塚」を保存した史跡もあります。まずは、下調べを兼ねて、博物館へ。
受付で「撮影許可証」に記入すると、「撮影許可証シール」がもらえますので、わかりやすい場所に貼って堂々と写真を撮りました(笑)
飛の台史跡公園博物館
縄文時代早期の遺跡「飛ノ台貝塚」や市内の縄文遺跡から出土した遺物等を展示。
市内の縄文遺跡は、現在確認されているだけで約100か所。
そのほとんどは台地上にあることが多く、低地を臨む台地の先やヘリに多く見つかっている。
縄文人は湧き水を利用し、近くの海や川、林に行って食料を採り、住みやすいところに運んで暮らしていた。
深鉢形土器(海老ケ作貝塚)
まずは2階へ。千葉県船橋市で発見された最大の土器がお出迎えしてくれます。
縄文時代の犬
藤原観音貝塚から発見された全身骨格を使って復元
体長40cmの成犬のオス
五体そろって埋葬されていたことから、飼われていたことがわかります。食料にされていたら、骨は他の動物と同じようにバラバラになっていたはずです。
名前は「飛丸」ですって!
縄文時代前期(6000年前)の船橋市
平地にある船橋駅は完全に海の中でした。ここ飛ノ台史跡公園博物館は、夏見台地の左隣の台地にあります。
2階では、「7000年前の土器群」「炉穴の模型」「合葬人骨」「竪穴住居」などを展示しています。
クジラの骨(古作貝塚)
石皿の代わりに使われていた。
古代の漁で使われたであろう網
網に土器の破片や石にくぼみをつけ、重りに使用。
軽石は浮きに使用。
縄文時代の地層から出土した貝
実際に触れますよ。
縄文時代の船橋ではどのように貝を利用してきたのかを、中心に見ていきました。
貝輪入り蓋つき土器(古作貝塚)
サトウガイ・アカニシガイ・ベンケイガイの他、伊豆諸島から来たと思われるオオツタノハなどが入っていた。
貝輪入り蓋つき土器は他に例がない珍しいもの。
土台に使われた貝
1678年に建てられた法華寺祖師堂では、柱の基礎に貝殻を敷き詰めていた。
湿気を防ぐことが目的。
古代の道路跡(印内台遺跡)
台地の一部を掘り込んだところに、貝がらを何層にもわたり敷き固めた。
貝を敷き詰めた古代道イメージ
海に近い船橋ならではの工夫ですね。
3階へあがります。この階は「船橋市内の縄文遺跡について」展示してあります。
船橋の縄文遺跡は、現在確認されているだけで約100カ所あるそうです。
竪穴式住居の中から外をみる
発掘された住居跡を基に実物の90%の大きさで復元。
この住居の特徴は角が丸く、長方形のような形をし、柱は6本くらいと考えられている。
住居の中には、はっきりした炉はない。
竪穴式住居の外から中をみる
炉穴の模型
住居の中に炉が作られる前は、このような調理場で煮炊きをしたり、獣の肉や魚をつるして、くん製を作っていたと考えられている。
縄文太鼓
有孔鍔付土器は、太鼓として使われたのではないかといわれています。
縄文遺跡から発掘された土器と同じ焼き方でレプリカを作り、鹿の皮をはり太鼓を作ってあります。
アンギン編みで作った古代の衣装も着ることができますよ。着なかったけど(笑)
この後は、そとの「飛ノ台貝塚」の保存史跡を見学しました。続きはまた明日・・・