認知症介護の生活の場として、一番適した環境といえば、やはり今まで生活していた自宅が最も良いと私は考えます。
しかし家族の介護負担が増せば在宅での介護は困難になり、最後はやっぱり施設入所ということになるでしょう。
多分この流れは高齢化日本の行くべき道なのでしょうね。
「認知症高齢者の為の施設介護なのか、また認知症高齢者を持つ家族の為の介護なのか…」
介護の現場では認知症高齢者がよく口にする言葉があります。
育った家に帰りたい…
今まで生活していた家に帰りたい…
愛する家族のもとに帰りたい…
勿論帰りたい目的はこれだけでは無いのでしょうけど、今いる環境が自分の居場所では無いことは認知症人でも分かっていると思います。
でも家には帰れない。
私の認知症棟の多くの利用者は在宅での介護の限界を感じて入所して来る利用者がほとんどです。老健でありながら最期はこの老健で死を迎えます。
先日のこと…
認知症からくる鬱症状が顕著にあらわれ、また妄想、無関心、コミュニケーション障害が重度化した利用者のカンファレンスが開かれました。
「今の状況ではここでの生活は難しいのではないか………」
この答えは認知症棟に勤務する職員一致の答えでした。
しかしケアマネの考えはNOでした。
「家族がそれを望んでいない…………」
「薬漬けにして動けなくしても良いから、ここでみてほしい」
これが家族の思いです。
(勿論これには家族なりの理由があるが、ここではそれ以上のことは書けません)
この時私は、いったい誰のための介護をしているのかと改めて考えました。
勿論家族のレスパイトは非常に重要ですし、否定もしません。
しかしそこには明らかに利用者の想いが置き去りになっています。
勿論我々も介護職員の役割として「ここは貴女がいても良い場所なんですよ……」と言えるような環境を作ることは非常に大切ですし、それについての取り組みも行わなくてはなりません。
ですが我々の想いが届かないことが多いのも認知症介護です。
認知症棟では利用者の想いが優先されることは少ないです。
勿論全てがそうでは無いですが、施設の決まりに沿ったベルトコンベア式の介護が今でもまかり通っています。
今回のカンファレンスで家族の思いと、利用者の思いの重さは比例せず、家族優先になっていることを改めて思い知らされました。