母を束縛していたことに気づいたら、自分が自由になった | 思考の学校認定講師 新木ちなみのブログ

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思考の学校講認定講師になりました。講師活動をしながらみなさまと一緒に安心安全な世界をつくっていきたいです。

こんにちは。

 

 

長かった夏休みも残すところあと2週間。

 

夏休みに入るまでは、

毎日娘を学童へ連れて行って、お弁当作りもあって、生活どうなるんだろう・・・

恐怖の夏休みが始まる・・・!!と思ってました。

 

そして、途中、娘が「学童行きたくない」と言い出して、

夏休み=私が苦労する

と思っていたので、その通りの現実を作ろうとしてしまってました。

 

現実はどこまで行っても自分の思考を投影したもの。

早速見直しに取りかかりました。

 

 

子ども心の、チビちーちゃん(6歳の私の気持ち)の言い分を聞くと

・だって学童つまんないんだもん

・ママが家にいて、私(娘)の面倒をみてくれるのがいい

・他の子はママが家にいて、学童に行かなくてもいい、家で自由に過ごしている子がいて羨ましい

・我慢したくない

 

と言っていました。

 

うんうん、そうだよね、ママがいつも一緒に居て相手してくれるのがいいよね、わかるよって

チビちーちゃんにしっかり寄り添ってあげました。

そう思っている私がいることをしっかり認めました。

 

実際、「ママ=家にいて家のことをやる、子供の面倒をみるのが当たり前の存在」 と思っていたので

私が家にいないといけない現実を作り出してしまっていました。

 

大人の私が、チビちーちゃんに、話し掛けました。

ママも自由でいいよね

ママも外で力を発揮して、エネルギー出して輝いていいよね

 

 

チビちーちゃんは、

「私がママを家に縛り付けようとしてた・・・」

「ママ、自由でいいね」

「ママだって、外で輝いていいね」

そう言ってました。

 

私の母親はすでに他界しているのですが、実際、外で働いていて、結構出世もした人です。

そんな母を現実化したということは、

 

本当は外でエネルギーを発揮したい私もいたのだと思います。

 

チビちーちゃんの中に、「母は家にいて自分の面倒をずっと見てほしい」という思いと

「母は外で力を発揮して輝いてほしい」という相反する思いがあったのだと思います。

 

母に対する見直しをした後・・・

 

 

今、夏休みをめちゃくちゃ満喫しています。

そして、娘もちゃんと学童へ行けてます。

 

 

あと、先日姉から、

実家を整理していたら

私たちが子どものころに母に書いた手紙やら、私たちが載った新聞の切り抜きやらいろいろ出てきたと聞きました。

 

母は、全部それを大切にとっておいてくれていたようでした。

 

 

「ない」と思っていた母の愛が本当は「あった」

 

 

母は、ずっと私たちのことを想って生きてきてくれていたんだなって思いました。

 

 

お母さんは外で働いて、私と一緒にいてくれないって怒っていたけれど

本当は、外で働いていても、私たちのことを片時も忘れずずっと想い続けていてくれた。。。

 

 

側にいるだけが愛ではないですね。

いろんな愛の形がある、大人の私はそれをしっかり感じて生きていきたいと思います。

 

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。