9:30
錆びたトタンが張られた、ゆるい傾斜の切妻屋根、
その下、ココナッツの木を粗く製材した、
2 X 6 (ツーバイシックス)材が支えます。
小さなチャペル、
チャペルとは名ばかりの、切妻屋根があるだけ、
そこのコンクリート土間へ、招待された人たちが集まり始めます。
屋根を囲うように、自然と生えてきたマンゴーの木が、
覆いかぶさり、細い木洩れ日が、
コンクリートへ、その包丁型の葉の影を落とします。
ボクも、知人のフィリピン人の誕生日に招待され、
プラスチック製椅子に腰掛け、
誕生日会前の小さなミサ(稀なこと)に参加です。
ボクはキリスト教徒ではありませんが、
そこはフィリピン、「カンケーないダヨ」(笑)
10:00
「 Pastor 」と言われる、
指導者的な30代男性の説教で始まり、
実際にはマーケットへ行って、肉を買った時のエピソードや、
フィリピンでありがちな、冴えないジョーク(笑)
お次は、
胸の前がレース飾りの白い半袖ブラウス、
30代のボブカットの女性、張り出たお腹を抑えるように、
ゴールドの大きなバックルが光ります。
壇上でマイクを握った彼女、
マーケットの隅にブルーシート敷いて、
マンゴー売っている方が、よっぽど似合いそう。
日本では、もう目にすることのない古いプロジェクターが、
「 AYAW PAGULUYA-LUYA / 弱気になっちゃダメ 」
フィリピンではポピュラーな、教会で歌われる歌詞を映し出し、
エレキギターとドラムの、バンドの伴奏に合わせて身体をスイング、
そして、スピーカーのコーン紙を振動させて出てきた歌声、
その力強い声は「アデル」のよう。
ときに拳を握り、断固と主張し、
ときに手のひらを広げ、「みんなも、そう思うでしょ!」、
招待された人たちも席を立ち、
彼女に合わせスイングし、拳を握り、合唱します。
歌詞フレーズに「 Ginoo / ビサヤ語の神様」が混ざり、
左手を、肘がピンと伸びるよう高く上げ、
「しみったれた話しは後、あと」とでも言うように、
歌声はバンド演奏を抑え込むほどのエネルギー。
歌という力、
彼女の中のエネルギーを外へと放ち、
次の曲、そしてまた次の曲と続きます。
工場で使われるような、大型扇風機が首を振るたび、
壇上、観葉ココナッツのナイフのような葉を揺らし、
彼女のショートの髪の一房が顔にかかり、
そのこめかみからは、汗がひとすじ、そしてもうひとすじ。
エネルギーに満ちた小さなコンサート、
錆びたトタン板からの輻射熱を両肩に感じたとき、
すでに、1時間半が過ぎています。
