氷のうを額にのせているアニメをテレビで見ると、
なんか羨ましい思い出があるんです。
子供の頃、すぐ風邪をひき熱を出し、
母がぬれタオルを額にのせ、
ボクは「ほんとは、氷のうがいいんだけどなぁ」と、
ココロの中で思いながら(笑)
タオルを替える時、
母「むずせぇごど」と、ボクの額と頬を静かに撫でます。
「むずせぇごど」とは、山形県最上郡の方言で、
「かわいそうで、切ないよ」そんな意味です。
ダバオ
最近、よく行く露店BBQショップ、
3ヶ月前、脱サラして家族で始めたマック(男性38歳)、
張り出たお腹に、ニコニコと愛想よく、
珍しく「お客さん第一主義」(まぁ、あたりまえですが/笑)
そのマックのお母さん、ジョナ(女性60代)から、
「カトリック教会の人の集まりがあるけど、来てみる?」
ボク「あっ、ボク、クリスチャンじゃありませんが?」
はっきりした二重のジョナは、おっとりした口調の英語で、
「別に構わないわよ、もし興味があればどうぞ」
ボクはイエスとも、ノーとも言わずに、
ただ「分かりました」と。
いつも上半身ハダカで、
ダバオの風紀を乱しているボクに対し、
ジョナ「白いシャツ着て来てネ、持ってる?」
ボク「あっ、はい~」、先手を打たれます(笑)
10:30
定刻より30分遅れで(フィリピンですから/笑)始まった、
「 Prayers Meeting / 祈りを捧げる人たちの集い 」

事前にお知らせをして、同意を得た家々を訪問するそうです。
6人の祈りを捧げる人( Prayer )が英語、時にビサヤ語で聖書朗読、
緊張した感じはなく、朗読にリズムと軽く手拍子が加わり、
身体をスイングさせ、ただただ「普通に」ミーティングは続きます。
6人が、各々のパートがあるようで、
順繰り立ち上がり、聖書から引用した意見や、
最近、自身に起きた世間話のようなモノも混ざり、
さながら町内会の集まり、そんな風にも思えてきます。
キリスト教の集いですから「神」という言葉は、
英語、ビサヤ語、ともに頻繁に発せられるものの、
それは、たまたま500年前にマゼランが残していったモノ、
というだけで、もしそうでなければ他の「象徴」のようなモノが、
そこにあるだけ、それだけ「普通」な感じです。
ボクには「普通」すぎ、少し不思議な感じさえします。
最後に、6人のプレイヤーが代わる代わる、
参加者全員の頭、肩や背中にそっと両手をあて、
やっと聞こえるほどの声で、
一人一人の健康や、幸せを祈って周ります。
ボクの頭、肩や背中にあてられた両手、
人にふれ、ふれられる、
それはとても自然に、
両手がボクの中へと入ってくるようです。