フィリピンの基礎コンクリート打ち

鉄筋直置き、間隔広すぎ、ほんと危険ですね。
鉄筋はコンクリート厚みの中程になるように、
5~6センチのブロックで持ち上げ、配筋は写真の半分の升目に。
2013年10月のボホール、セブ島地震被害の教訓が生かされてません。
働いている人たちは一生懸命なのですが。
2/18 16:00
2/15 から入院していた、義姉の赤ちゃんボラントイ(15ヶ月)が退院。
病名は尿路感染症(UTI)、フィリピンでは珍しくないようです。
ブルーシートの上で1ペソ硬貨で遊ぶ、元気になったボラントイ

退院はめでたい、ということで義兄の消防士(37歳)が、
40年前のヤマハ モトクロッサーYZ125(保安部品ナシ)のタンク上に、
ボラントイを乗せハンドルを握らせて、辺りを流します。
そして、この家の中は相変わらず、
ブタを7ヶ月間飼っていた際の排せつ物からの、
食べ物に群がるハエ、野放しニワトリの「落し物」、
裸足で歩きそれを踏み潰し、家の中への足あと。
スイマセン、この辺で止めておきます。
ようするに、赤ちゃんの感染症と、
清潔にして予防することが全く結びついてません。
昨年、7月にアメーバ赤痢、
12月にチャーミングな妻の急性胃炎、
共にインターネットでそれを調べたのはボクだけ(涙)
いったい、なに考えてるんだぁ~!!
「はい、なにも考えてマセン」(ぷ)
まぁ、ボクが望んで4,000キロ離れた彼らの「三次元空間」へ、
ノコノコやって来たので不満は言えません。
何より、彼らは「ご機嫌に暮らしている」のですから。
あたりまえですが、ボクは日本語で考えてます。
日本語は、日本で暮らしてきた人たちの言葉、
その言葉が暮らしに影響し、また暮らしが言葉へ影響し。
では、彼らのコトバ、ビサヤ語はどうでしょうか?
マゼランが500年前に残していったスペイン語の影響を強く受け、
続いてやって来たアメリカの英語の影響を受けたコトバ。
スペイン語はスペイン人の間で使われ、
彼らの思考、習慣を創り出して、
英語は英語圏の生活の道具として。
スペイン語も英語も、
ここトロピカルゾーンとは「縁もゆかりもない」モノ。
そのコトバできちんと考えられるのでしょうか?
日本語は「物事に備える言葉」のような気がします。
いろいろなことわざ、格言もそれを基にしている、そんな気が。
ボクは「赤ちゃんが帰って来て嬉ピーダヨ」で終わり、
そうゆう考え方は出来ないし、したくありません。
長々とグチになってしまいましたが、
気が滅入っているわけではありません(かと言って気分爽快でもないですが)
これは理解し合ったり、折り合いをつけることは無理でしょう。
中学生の頃、国語の授業で「中庸」という言葉があり、
30代の小太りの女性教師が「ちょうどいい中間、という意味です」と、
説明した後の、小さなため息が記憶に残ってます。
昔々の大先輩たちが考え出した「中庸」という理想。
大先輩たちは、それを成しえない事と知ってか、
それとも、
「なんとか成し遂げろと」尻を叩いているのでしょうか。