セブ島タリサイ市のジプニー通りで買った 「 Chico 」

味覚が研ぎ澄まされた方々には、
少々申し上げづらいですが、
味は、梨の、香、シャキシャキ、水々しさを「抜いた」感じです(笑
甘みはあり、梨の噛み切った後のザラザラというか、
小さなツブツブした感触が残ります。
実は柔らかく手で半分、それをまた半分に割り、そのままかじれます。
2個で7ペソ
小学生の頃はランドセルで通ってました。
留め金を外し、大きなとこに教科書、ノート、口がマグネットの筆入。
外側に、小さなマチ付ポケット。
月1回持って行く、印刷された升目付封筒はそのポケットへ。
升目は12段、給食費の封筒です。
当時は現金を教室へ持参、
8月は夏休みで、升目にはボールペンで斜線してあります。
うちは貧しかったにもかかわらず、給食費滞納や、
担任の先生と教室の隅で小声で相談したりする事なく、
親には感謝しています。
後年、両親は離婚したため「母の頑張り」と言ってもいいでしょう。
子供心に、この給食費を払える事が、
貧乏かそうでないかの線引きでした。
ボクのチャーミングな妻が「日本語日記」を書き始めた頃、
8~9年前でしょうか、日本語の勉強として。
「きょうは、ブタにくと、タマゴとごはんを食べて、おなかいっぱくなりました」
彼女が最初に書いた文章です。
18:15
近所のトロトロ(庶民食堂)へ、妻とおしゃべりしながら。
途中、スクワッター(不法居住)ゾーンのアマック(男子8歳)がいます。
彼のユニフォームのようなグリーンのバスケットボールシャツ、
アマック「5ペソ、ちょうだい」
ボクは、いつものようにヘッドロックで返事します(笑
アマック「どこ行くの?」
妻「ご飯食べに行くダヨ、一緒に来る?」
アマック「ううん、行かないダヨ、じゃあね~」
19:00
帰り道、さっきのアマックと兄のジョゼフ(11歳)が
街灯下で遊んでます。いつもより少し元気がない感じです。
妻「ご飯食べたの?」
ジョゼフ「今夜はないんだよ」
ビサヤ語が分からないボクでも、ジョゼフの表情で分かります。
ボク「 OK 、レッツゴー!」と元来た方を指差します。
ジョゼフは9人兄妹、ほんとうは10人でしたが、
病気で1人赤ちゃんの時に亡くなりました。
お父さんの仕事は、数日前に記事に書いた、
電動トライシクル(バイクタクシー)ドライバーです。
ジプニー通りで、
ジョゼフのいとこメリージェーン(女子11歳)とお母さんを見かけ、
ジョゼフたちと同じく夕ご飯食べてなさそうなので、
妻「一緒にご飯食べに行く?」そっと訊きます。
ジョゼフ「オレたちも行くダヨ」
妻「じゃ、行こ行こ」と、
メリージェーンのお母さんの背中を押します。
4人の注文はご飯2つに、おかずのミートボール4個。
遠慮と少し恥ずかしいのでしょう。
妻がご飯を4つに、ポークチョップ(ブタのフライ)、
トルタンタロン(ナスのフライ)、モンゴー豆スープ、
それぞれ4つをたのみます。
ボクはジョゼフの肩を、
ポンとたたいてから、
軽く敬礼し「またネ」と。
お勘定の紙幣を渡して、お釣りを受け取る時に
トロトロのお母さん「あの人たちに親切にしてくれ、ありがとうネ」と。
ボクは小さくうなずき、ジプニー通りへ。
一言でも口から出せば、泣き虫なボクは、
涙をこらえきれないでしょうから。
「おなかいっぱくなりました」
今、妻が最初に書いた理由が分かります。