成長過程で長い間
「私が我慢して丸く収まるならそれでいい」
という感覚で過ごしてきた私は
自分が潤滑剤になりうる事に義務的意識があって

でも同時に自分のことが
嫌いで仕方ありませんでした

自分の中に二分された感情がいつもあって
本心を自己表現出来ない自分自身や
表現することに怯えている自分や
周りの顔色ばかり伺っている自分が
あまりに自信なさげに思えて
自主性の無さに嫌気がさして

いつも可哀想な奴だと思っていました

…嘘です、本当は今でもちょっと思う時があります


でも年齢と共に訪れた環境の変化や経験を通して
自分をすり減らして
周りを穏やかにしようとした所で
結局は自分の中に不満感は溜まっていて

それはいつまでもため続けられはしないこと
自分が不幸だと感じた時
それらのせいに責任転嫁したくなってしまうこと等

結果的にたどり着くところは
望む幸せでは無いのだということにも
少しずつ気が付き始めました


私が『きちんと自己主張しなくては』と
一番現実味を帯びて思うようになったのは
彼とのお付き合いがきっかけだったので

そういう意味でも
彼との恋愛は私の人生において
大きなターニングポイントだったな
と強く感じています


払った自己犠牲も
結局は自分の意思にされてしまうし
実際自分の意思でもあるので

それが招いた結果に誰も責任は取ってくれません
もしかしたら、誰も幸せにならないかもしれない


誰かに手を差し伸べるためには
自分にそれだけの余裕がなければ出来ません

今の私はまずは自分を
目いっぱい幸せにしてあげたいな
と思っています