夏タイヤのポンコツトラックで八戸に行き、

置いてあった原付をピックアップし、東京に

帰ることになった僕ですが、高速道路は雪が

降っていたため、雪のない沿岸部、すなわち、

津波で被災した地域を通って帰ることになり、

奇しくも、震災から9ヶ月目の被災地を見ながら

トラックを走らせることになったのですが・・・。


この日の天気は、悪い意味で予報がハズれ、

東北地方は、「こんなに寒いのは久しぶり」

言っちゃうぐらいの猛烈な寒さになっていました。


しかも、フル充電したケータイで、予報を見ると、

ハズれたことに対する謝罪もなく、「最初から

言ってましたけど?」みたいなテンションで、

「明日以降、この冬型の気圧配置はさらに

強まるでしょう!」なんてホザき出す始末!


今より寒くなったら困る。


明日になったら暖かくなるって言うんだったら、

八戸で1泊することも考えましたが、今日よりも

明日や明後日が寒くなるなら、いつまで経っても

東京に帰れなくなり、延滞金がどんどん高くなる!


しかも、その延滞金というのは、TSUTAYAで

借りるエロDVDとは違って、ケタ違いの金額で

どんどん跳ね上がっていくのです!


絶対に帰らねば!


しかし、沿岸沿いの国道45号線を走るにしても、

その道は、実にクネクネしており、山を登ったり

下ったりするコース。しかも、雪こそないものの、

気温は氷点下まで下がっていたため、わずかな

操作ミスがスリップにつながる過酷な状況。


一歩間違えれば谷底に落ちる。


まさに、ほんの小さなミスも許されない状況。

F1ドライバーと、ほとんど変わらない危険度!

ですが、こっちはF1ドライバーの人とは違って、

あびる優とも、黒木メイサとも付き合えません!


何のために、こんなことしてんだ?


僕は考えちゃいけないことを考えていました。

かたや、いっぱいお金をもらい、ベッドという名の

サーキットで、メイサグランプリを走り切った後に、

ポールのポジションを直しているにもかかわらず、

僕はネットというサーキットで、雪上グランプリを

無事故で走り切っても、どこかが炎上する始末!


メリットがなさすぎる!


それは、僕の人生観すら問いかけるものでした。

福島の放射能の話もそうですが、僕はメリットを

求めているわけではありませんが、デメリットが

大きすぎるのは、悩ましい問題だと思うのです。


例えば、電車で座席に座っている時、目の前に

お年寄りが来たとして、こっちも疲れているけど、

わざわざ席を譲ったら、ババァが「ありがとう」

一言も言わずに、我が物顔で座ったとしてですよ。


器の小さい僕は、長年生きてきながら、挨拶も

できないババァなんざ、地獄に落ちればいいと

思うかもしれませんが、だからって、「こっちは

感謝してくれると思ったから譲ったのに!」

騒ぎ立てることはありません。


しかし、福島のそれは、お年寄りに席を譲ったら、

「まだお年寄りだと思っていない心の若い人も

いるというのに、年寄り扱いするんじゃねぇ」

ボッコボコに殴られるようなもので、席を譲ることの

対価が、「感謝もされない」ならいいんですけど、

ボコボコに殴られるんじゃ、見合わないわけです。


あげく、席を譲ったことすらないような人から

「殴られるのが怖いなら、最初から譲るな」と、

わけのわからないことを言われちゃったりして・・・。

殴るヤツには何も言わねぇのかよ!


この世は、クソである。


そんなふうに思っちゃったりなんかするんですが、

もっと早く原付を取りに行けばよかったというのは

あるにしても、貧乏をこじらせて、一歩間違えれば

死ぬようなリスクまで背負うことになってしまい、

「果たして、これって意味あるの?」なんていう

哲学にも似たことを考えさせられてしまった僕。


例えば、僕が榮倉奈々ちゃんと付き合うために

生死をかけるほど頑張るのは意味がわかります。

結果、付き合えない可能性が高かったとしても、

僕はチャレンジだけでもすることでしょう。


しかし、どこぞのクソ野郎と榮倉奈々ちゃんを

付き合わせるために、僕が生死をかけるってのは

意味がわかりません。それが、榮倉奈々ちゃんに

頼まれて、「付き合いたいから手を貸して」って

言われたのなら、笑顔の奈々ちゃんが見たいから、

ブサイク野郎のジェントルマン魂にスイッチが入り、

僕が頑張るってのは、あるかもしれませんけどね。


僕はどうしてこんなことをしているんだろうって

考えた時に、理屈ではなくて、「こういうことを

やっちゃうのが、俺の生き様」みたいなことで、

お金が儲からなくてもいいし、誰かに感謝だって

されなくてもいいけれど、いつか必要とされるのに、

誰もやらないというのなら、僕がやるしかない的な

使命感ではなかろうかと思いました。


「東日本女子駅伝」「ふくしま駅伝」だって、

チェルノブイリのメーデーのお祭りと同じように、

事故を小さく見せようと思った政府や自治体が、

頭のおかしいイベントをやって、子供を被曝させ、

安全だって言いたがるんです。


原発の大きな事故は、およそ10年に1回という

ハイペースで起こっているんだから、もしも今度、

世界のどこかで大きな原発事故が起こった時は、

アホみたいに同じ悲劇を繰り返すことのないよう、

チェルノブイリでは子供をお祭りに参加させたし、

日本では2マイクロシーベルトを超えるような所を

選手が走り、その中には女子中学生もいたんだと

証拠として残す人が必要になる。


誰もやらないから、僕がやった。


それだけのことなんだけど、今回の被災地の本も

利益のためではなく、日本は地震大国なのだから、

30年以内に同じような規模の地震は必ず起きる。

その時に、東日本大震災の何が問題だったのか。

それをまとめる人がいれば、必ず役に立つと思う。


誰もやらないから、僕がやる!


誰もが寄り付きたくもないけれど、仕方なく使う

汚い公衆便所を、自ら掃除してあげるようなもの。

こんな面倒なことは、誰もやりたいと思わないし、

そんなことにお金を使うなら、もっと自分のために

お金を使った方が良いと思うのが一般的なのです。

やっぱり、僕は相当の「ヘンタイ」ですよ!


で、こういうことを書いちゃうから、「俺様がやって

やってる感が強すぎる」とか言われるんですが、

ぶっちゃけ、やりたくてやっているんじゃないです。


こういうふうに言うと、すぐに、その先を読まずに

「だったら、やるな!」と言う人が出てきますが、

僕と同じことをやっている人がたくさんいるなら、

AKB48のトレーディングカードを使う分のお金を

その人に寄付してあげる意志は、もちろんある!


しかし、誰がやっていますか?


将来を考えれば、福島の駅伝コースの線量を

測る民間人が必要だし、粉ミルクのメーカーに

片っ端から電話をかけて確かめる人がいたら

きっとママさんも助かるし、津波の被災地が今、

どんな状況なのかを伝える人がいたら、もっと

復興が進むかもしれないのに、そんなことをする

僕以外の人が、一体、どれだけいるんですか?


そんなに文句を言うなら、オマエがやれよ!


僕は、ボランティアの達成感で満面の笑みを

浮かべるような心の清い人間じゃないんです。

誰かが代わってくれるんなら、いつでも余裕で

バトンタッチするけど、誰かやってくれるのん?


やらねぇなら、文句言うなよ!


僕のような、ボランティアに熱意を持っている

タイプでもないゲスな人間しか、こういうことを

やらないような世の中がクソなんじゃねぇの?


文句を言うほど立派な、心の清い人がたくさん

ボランティアしてくれれば、僕が叩かれることも

少しは意味がわかるんだけど、はっきり言って、

まだまだ被災地のボランティアの数は少ないし、

小さな子供に福島の野菜を食べさせることが

ボランティアだと言う人に文句を言われたくない。


なのに、「立派ですね」と評価をされる人は、

「被災した人がお祭りをしました」みたいな、

伝えたからって被災地が良くなるわけでもない、

どうでもいいポジティブな話を伝える人ばかりで、

「こういうことを考えようよ!」という難しい話に

あえて触れるような人は、文句を言われるだけ。


つい先日は、被曝と病気の関係を追いかける

ジャーナリストの男性が、「粘膜があるところは

特に注意が必要で、鼻、口、目、生殖器には

放射能がつかないようにするべきだ!」という

話をしていた時に、「女性の生理用品も十分に

ベクレル検査の必要がある」という話をしたら、

どこぞのババァが猛反論しましてね。


「自分の身は自分で守ります。中年の男性が

生理用品の話をするなんて、気持ちが悪い!

お医者さんでもないくせに、女のコの生理の

心配だなんてゾッとする!」と言い出す始末!


おい、ババァ!!


思春期の女のコが言うなら、まだ受け入れよう。

もうすぐその心配すらなくなるであろうババァに、

気持ち悪いとか言われる筋合いなんかない!

その古い感性こそ、ババァの証拠じゃねぇか!


えぇ、僕の言い方に、たった今、すべての女性が

ドン引いたところですけどね。僕はこういうことを

平気で言っちゃうようなゲス野郎なわけですよ。

そもそも、ボランティアに向いてると思います?


そんなことを自問自答しながら、スリップ一発で

人生が終わりそうな道を、ギアチェンジしながら

走っていたわけですが、こんなネガティブなことを

考えていたら、どんどん虚しくなっちゃうからって、

車のラジオをつけることにしたんですよ。


そうしたら、津波で被災したエリアのデコボコの

山道を走るもんで、電波の入りが悪いんですね。

音楽がかかっていても、ザザッ、ザザッと言って、

よくわからない外国語で話しているような声が

時々聴こえてきちゃったりするんです。


ロシア語なのか、ポルトガル語なのか、言葉は

わかりませんけど、「ルタマルベヌソロシーア

ロタルッシィ」みたいに言っている外人の声の

最後の「ロタルッシィ」みたいなヤツところが

妙に耳に残っちゃったりすると、ものすごく怖く

なっちゃったりなんかして。


津波でたくさんの方が亡くなったような場所を

走っている時に、「ロタルッシィ・・・、ルッシィ、

ルシィ・・・、苦しい・・・!」みたいになったら、

全力で失禁するじゃないですか! ただでさえ、

いっぱい水分取っているんですから!


「アカン!」と思い、何かくだらない話をしてる

くだらないラジオ番組を探そうと思うんですが、

田舎のラジオ放送っていうのは、すごいですね。

チャンネルを合わせると、歌舞伎みたいなヤツか

クラシック音楽しか出てこない!


飛行機のイヤホンじゃないんだ!

もう少し何か放送しても良くねぇ?


まぁ、人気だから、そういう放送なんでしょうけど、

ラジオは無理と思って、無音のまま、被災地の

凍結しかけた道を夏タイヤで走ったわけですが、

僕の悟りは、どんどん深いところに行きまして、

「生きるって何?」みたいなところに行きました。


津波で亡くなった方も、予期せぬ出来事で

一瞬にして命を奪われてしまったわけですが、

僕も事故ったら、命が終わるかもしれません。

人間、いつ死んじゃうかもしれないことを実感し、

「生き方」みたいなものを考えちゃったんです。


ということで、明日は、悟りの境地に達して

しまったので、そんなに難しい話はしませんが、

「人生って何だ?」みたいな話をしてみます。