大学で私が担当している、メディア系授業の話です。
“作り手”の視点を学生に経験してもらおうと、
3-4人のチームで
2分程度の映像作品を作ってもらいました。
「私たちの2020は、こんな年でした」
というテーマで作ってもらったのですが、
コロナ禍という逆境の中、
実は皆さん、色々とエンジョイしていたのだ、
ということが分かってきました。
多くは家の中か、その周辺でしか動けていないものの、
映像に現れた学生たちの過ごし方は、
楽器、歌、作曲、映画(鑑賞)、ゲーム、(ウチで)サッカー観戦、
ダンス、ミステリー小説、勉強、料理、手品、コラージュ、
(近所を)ジョギング、(近所を)ウオーキング、等など。
実に多彩です。
隙をつくように出かけた
ハイキングや旅行に行った映像もありました。
そしてほぼ共通して出てきたメッセージは、
“今だからこそ、できることをやる!”
語られているメッセージにも、力強さや活き活き度が
感じられます。
学生たちは、
想像していたより大分前向きだと思いました。
が、気になった部分もありました。
コロナが終結したら、何をやりたいか?と
問いを発していた
チームがあったのですが、これには
「海外旅行に行きたい」
「サッカーの試合を見たい」
「ディスニーランドに行きたい」
そういう答えが並んでいて、
分からないではないのですが、
さっきまでの個性が消えてしまって、
声にエネルギーも感じられないのです。
“今だからこそ”は、
コロナが終わっても、彼(女)らには開かれているはずです。
ところが、コロナが外れたところで、
逆に多様性が失われてしまう。
急に保守的な(と私には見える)発想が強まっていく。
と、考えると、彼(女)らの多様性は、
日常のシステムから外れてみて始めて、発揮されてきたのでは、
と、そんな気がしてきました。
それはつまり、日常のシステム(学校、等)が、
学生たちが本来持っているユニークさとか、
まだ開花できていない才能とかを、
封じ込めているということかも知れません。
本領発揮の種を、潰してしまっている可能性もあるのでは、
と感じます。
おそらくこれは、大学だけの話ではないでしょう。
20代~30代前半の若手社会人たちも、学生たちと同じような
感覚を持っているのではないでしょうか。
自由になった時間を多様に使う学生たちと同様、
現在の若手社員たちは、働く目的も、働き方に対する考え方も、
人生の意味や将来への期待も、実に多様になってきています。
ところが、多くの組織の体制は、その変化に追いついていない。
多様な若手社員たちの生きる動機を、
受けとめられている組織は、まだまだ少ないと感じます。
人が持てる能力をフルに使って、それなりのコトを成し遂げるには、
その人が本来持っている動力源が駆動しないといけません。
月齢給とボーナスの査定を上げることで本領発揮してくれる人は、
今はもう少数派でしょう。
未来を約束して、という空手形が有効だった時代も、
とっくに終わりました。
一人ひとりが持っている感動体験への共感や、
固有のリズムへの共鳴が、むしろ意味を強めています。
多様な生き方や、より人間的な発信を受容できる力が、
急速に組織に求められ始めていると感じます。
働く人々の、そうしたところを受け止められない組織は、
企業であれ、学校であれ、
これからは、どんどん厳しくなっていくのだろうと感じます。





