チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる -12ページ目

チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

 

日本の強みは“現場”にあり、等とかつては語られていたものでした。

モノづくり大国、技術立国、などと自称して

現実に日本製品が世界を席巻していた時代もありました。

 

その看板は今も建てられているものの、中身は相当に

弱体化していると思われます。

技術力が下がったからかと言えば、多分そうではなく、

技術力は上がってはいるものの、これを形にしていく能力が

劣化している、というのが本当のところだと思います。

 

国産の航空機開発という「夢」に向けて三菱重工が渾身で

取り組んだMRJ(Mitsubishi Regional Jet)の開発が、

昨年停止されました。事実上の開発凍結です。

 

この話は、重工がピカピカ輝いていた時代を知っている

私には相当にショッキングなニュースでした。

 

確かにMRJは大いなるチャレンジでした。

リスクもありました。

ただ、重工のトップには、ウチの連中なら何とかやり切るだろう

という読みがあったのだろうと思います。私もそう思っていました。

 

困難を乗り切る力が現場にはある、と信じられる体験を、

この会社のトップの人たちは、繰り返してきたはずだからです。

 

ではなぜ“読み”が外れたのか。

それは「物語思考」力の欠如だったのではないか、

というのが私の仮説です。

 

非常時、緊急時、あるいは不確実な事態にぶち当たった時に、

多様なストーリーをつなげながら、新たなストーリーを仮設して

危機を成長機会に変えていくことができる。

 

そういう力が、昨今の日本企業に決定的に欠けているのではないか。

そして、その問題がMRJの現場でも起きていたのではないか、

そういう想定が、ここにはあります。

 

MRJの開発にあたり機体全体の設計力不足は、かなり前から

指摘されてきたことでした。

三菱重工は部品の製造能力とか、素材の開発力、特殊な加工品の

制作力などを取れば、今も多分世界の最高水準でしょう。

 

しかし国産の航空機開発が止まってからの半世紀以上、

機体設計の専門家は社内どころが国内にもいなくなってしまい、

この部分は外部の知を借りながらやっていくしかない状態でした。

 

当初の純国産へのこだわりを捨て、2017年に同社は、

海外からトップレベルの技術者をスカウトで集め、

若くして旅客機開発に実績を持つアレクサンダー・ベラミー氏

を開発責任者に据えて、まさに世界最高峰のチームを構築しました。

 

しかし、それでもだめでした。

 

世界中から集まった一流のエンジニアたち、

加えて各々の領域では

世界トップ水準に君臨してきた重工のエンジニアたちの

協働を成功に導くことができなかった。

 

プライドとプライドがぶつかり合い、

各々の物語は接点を持たないままに

空中戦を繰り広げたのだろうと想像されます。

 

ベラミー氏は、

「1つのゴールに対しバラバラになっている組織だと感じた」

と言い残して、昨年6月に日本を離れました。

 

個々の技術力を見れば、ここには間違いなく世界最高水準が

集約されていたと捉えていいでしょう。

 

しかし、

設計(技術)には思想がある。考え方がある。

データを重視するか、モデル先行で考えるか。

安全をどういう基準で考えるか、

何を持って耐久性を判断するか、等々。

 

これらの問題を解くことができなかった。

 

こうした一つ一つに対して、

現場の意思決定は必ずしも“科学“ではありません。

そして思想や価値観だけでもありません。

 

実は問題の9割は関係性です。

 

つまりお互いのストーリーを理解して、そこに信頼の核となる

関係の構造を作り上げていく力が無ければ、

相互に納得できるストーリーを築くことができない。

技術を支える思想同士をつなぐことができなくなる。

そこを放置すれば、結局同じ問題が繰りかえされてしまうのです。 

 

欠けていたのは「物語思考」の発想。

その欠如は、数千億円の損失を生んでしまうほどに深刻な問題です。

 

既にお気づきのごとく、

MRJの例は、すべての企業にとって「他山の石」ではありません。

どこにでも起きているし、起きておかしくない問題です。

 

私たちはあまりに、データ、実証、実績を重視する思考に

偏り過ぎて来ました。

それらは勿論大事なことだけれども、

それだけでは今の時代は乗り切れないのです。

 

今の日本企業には、人間と人間を繋いでいく

別の知恵が必要になっています。

そのことに早く気づいて手を打たないと、

状況はもっともっと悪くなってしまいます。

 

 

 

東京電力柏崎刈羽原発のテロ対策の不備が発覚し、

原子力規制委員会からは東電に厳しい是正命令が出された、

と昨日新聞で報じられていました。

 

関係者ではない社員が同僚のIDを使って不正に制御室に入り、

警備担当者はその不正を知りながら

それがバレない様に認証情報を変更していた、

(つまり不正な侵入者に加担していた)という

驚くべき事実も報じられていました。

 

規制委員会の委員長が、

「東電の姿勢が問題、原子力の燃料を動かす資格はない」、

という異例のコメントを出していましたが、

確かにモラルの低下、従業員の意識の劣化と言われても

しょうがない事態だと言えるでしょう。

 

とはいえ、こんな出来事も

働く側の気持ちを考えれば、ある意味必然として起きた気もします。

3.11以降操業が止められ、“原発“というラベルの下、

従業員は世間から、白い目で見られ続けてきたはずです。

 

いつ動くとも分からない休止設備のメンテナンスに、

やりがいを感じることは困難でしょう。

日々の仕事に意味が感じられず、士気がすっかり落ちて

仕事が“作業をこなすだけ”になっていた可能性は十分あると思います。

 

原子力発電のような、複雑で巨大な装置を動かす仕事は、

一つひとつの作業の意味を、現場の作業員が必ずしも理解

できているわけではありません。

マニュアルに従い、上の指示に基づいて動く様な仕事が

相当量を占めるはずなので、“やりがい”は一層感じにくいでしょう。

 

なので、エビデンスは無いけれどこの組織には下記の様な問題が

起きていたのではないか、と直観的には推測できます。

 

たとえば“安全管理の徹底”といった課題が出てきたときに、

こうした組織体質の会社は、

 

・安全マニュアルの整備

・指揮命令系統の明確化

・細かな点を含めた報告体制の徹底

・モニター用カメラなど、必要設備の整備とメンテナンス、等

 

おそらく、外目に見えるこうした事柄は、他社水準より高い

レベルで整備されていたと思われます。

 

ですが、問題の本質は全然違うところにあります。

 

そこに上層部が気づいていないのが問題だし、

現場の実践者は気づいていたとしても、それを口に出せないところに

問題の本質があります。

 

それは次の様なことがらに、心が反応しなくなっていることです。

 

・都合の悪いデータは書き換える

・幹部社員がルールを破るのは見逃がす

・報告書は体裁を整えておくことを優先する

・カメラなどが壊れていても、誰も困らないなら放置していてもよい

 

一言で言えば、

システムを健全に動かそうという意欲が現場に全くない

という事です。

 

だって、動いていない原発なのだから、一生懸命やる意味など

感じられるわけ無いじゃないですか。

 

この状態で働き続けるのは、明らかに無理があります。

働く人にとっては悲劇的な構造というしかありません。

 

この事態を変えていくには、根本的な手術が必要です。

すなわち上に記した、

 

・都合の悪いデータは書き換える

・幹部社員がルールを破るのは見逃がす

・報告書は体裁を整えておくことを優先する

・カメラなどが壊れていても、誰も困らないなら放置していてもよい

 

などを容認できる思考パターンを変える必要があります。

 

そのためには、「原発の再稼働」という「物語」を一旦横に置かなければ

いけないだろうと思います。

 

そうではなくて、働く一人ひとり、更に言えば原発を囲む環境に住む

一人ひとりの「物語」を聞き取って、これらを集め

そこを起点とした未来の「物語」を、

手作りしていくしかないのだと思います。

 

その物語には、「早期の再稼働」とか「技術への絶対信頼」といった

前提をつけてはいけません。

一人ひとりの経験的な実感知を基盤に、望んでいる未来を

描いてみることです。

 

途方もない作業の様に聞こえるかもしれませんが、

実はそうでもありません。

 

電力が無くなったら、沢山の人が困ります。

東電は、我々の日常の光に、冷暖房に、パソコンやプリンタや

スマホに、そして自動車や鉄道に無くてはならない組織です。

電力マン(ウーマン)には、それだけの存在意義は

始めからあります。

 

その原点に返って、一人ひとりの物語を紡ぐところから始めれば、

道は開けるはずです。

厳しい裁定が下って、気持ちも落ち込んでいると推察しますが、

東電で働く人たちには、

何とか奮起してもらいたいと心から念じています。

 

少し長いタイトルですが、

未来を“物語る”ワークを、いま作っています。

先月と今月で一回づつ

合計2回のトライアルを開催しました。

 

参加者(仲間うちですが)から色々とフィードバックを頂き、

ワークの効果やファシリテーション上の肝となる部分も

大分見えてきました。

次回(4月にやります)は公開でやりたいと思います。

 

どんな意図を込めたワークなのか。

参加頂いた皆さんに当日語り切れていない部分も

あるので、

“桃太郎“に込めた意味や、

色々と練りこんだ仕掛けについて、少し書いてみたいと思います。

 

私は50歳前後のシニア社会人を対象としたキャリア研修を

企業向けなどに実施してきたのですが、

現行のプログラムは丸々2日間もので、

受講者にとっても、また企業(組織)にとっても

かなり負担の大きなものになっています。

 

正直もっと短くできると、色々なところで買ってもらえるのに、

という思いもあって、半日くらいで出来るワークを考えてきました。

先日は3時間で実施しましたが、

工夫すれば何とか2時間半で納められそうです。

 

このワークには3つの柱があります。

一つは「世界は全部つながっている」という世界観。

二つ目は「英雄の旅」の展開と、旅の途中で現れる英雄的感性の重視。

そして三つ目は無意識層から送られるメッセージの読み取り。

 

独断に満ちた解釈ですが、「桃太郎」はこれら3要素を

全て組み込んだお話なんだろうと捉え、タイトルに入れました。

 

ワークショップには、桃太郎に肖った仕掛けを

いくつか組み入れているのですが、

特に骨格にあるのは「英雄の旅」のフレームです。

 

「英雄の旅」というのは、神話学者のジョセフ・キャンベルが

世界中の神話を研究する中で発見した物語のパターンで、

[旅立ち][試練][大事なものとの遭遇][試練の乗り越え][帰還]

といった形で進行する物語群を指します。

 

国や地域ごと内容の差はあるものの、何と世界中

どこに行っても類似したパターンの英雄物語が存在しており、

それは人類に共通する人間に本質的な意味を含んでいるのだろう、

とキャンベルは考えたのでした。

 

「桃太郎」を「英雄の旅」パターンに当てはめて読むと、

[試練][大事なものとの遭遇]のあたりがぼやけていて、

いきなり[試練の乗り越え](=鬼の退治)に進んでしまっている感じです。

 

おそらく近代になってから、途中部分が脱落したのだろう、と

私は想像していますが、ワークは元の形を復活させて進行させています。

 

旅の後半で[試練の乗り越え]に成功するためには、

前段階での“正しい出会い”や“正しい学び”に成功している

ことが重要で(つまり犬やサルとの出会いは“正しい出会い”なのです)

そのために桃太郎は、実は正しい直観を働かせていた、

と解釈できる訳です。

 

ワークの受講者には、

自身がこれから辿る未来の道筋を描いていくと同時に、

上記した直観が要所要所で正しく働くための

多様なヒントを持ち帰って頂くことになります。

 

ワーク中に得られるヒントは、自分の無意識層が送ってくるサインや

周囲に起きてくる出来事から

(自分が捉えるべき)真のメッセージを読み取る上で役立つと

考えられるものです。

 

ワークを受講した人は、英雄(=人生の主人公)の視点で、

様々な出来事を捉えようとし始めるので、

 

人生の旅を自ら描いたシナリオで歩み始め、困難を糧に自らの

可能性を広げていける様な生き方に近づいていく、と、

これこそが、ワークを創る側の真に意図しているところです。

 

さて、ここまで読んで頂いて、私の問題意識とか頭の中に

あるものの一部はお伝え出来たかと思います。

ですが、これがどんなワークなのか、どんなことをするのか、は

結局イメージは湧いてこなかったかもしれません。

 

ご期待を裏切っていたら、お詫びします。

 

もしご興味が湧いたならば、

願わくば近々本ワークを一般向けZoom開催しますので、

是非受講ください。 

年齢、性別、職業、嗜好、一切不問。

暫くはお試し目的で無料開催します。

 

(開催日が決まったら、このブログでもお知らせします。)

 

最後になりましたが、

トライアルにご参加頂いたみなさまに、心から感謝です。

 

 

 

 

 

昨年(2020年)4月にIBMの社長に就任した

ジム・ホワイトハースト氏の話。

 

同氏は、1年前にIBMが買収したレッドハット社の

社長だったのですが、2008年に5億ドルだった同社の収益を

2019年に34億ドルまで成長させたという手腕を買われて、

親会社のトップに就くこととなった様です。

 

レッドハットの社長になる前、同氏は経営再建中のデルタ航空に

コンサルタントとして入っていました。

デルタ航空はピラミッド型組織で、指揮命令系統ががっちり

出来ていて、

上の命令に従業員が忠実に従う巨大組織だったと言います。

 

なので、デルタ航空の文化にすっかり慣れていた同氏が、

文化の全く異なるレッドハットに入ったときは、

相当に戸惑いがあった様です。 

 

社長になりたての頃、同氏は部下にある事の調査を指示しました。

数日後にその進捗を確認したところ、

「ああ、あれは意味がなさそうだと思ったので、やめておきました」

と、こともなげに返されて、流石に言葉を失ったと言います。

 

瞬間「何だと、上司の指示に従わないなら、辞めてもらおうか」と

思ったそうですが、間もなく部下の判断が正しかったことが分かって、

 

更に、

何故その仕事をしなければいけないかを、自分が十分説明出来て

いなかったと気づいて、同氏は考えを改めたのだそうです。

 

同氏がその後、レッドハットの強みを発揮させる経営を進め、

業績を急拡大させたことは、冒頭に書きました。

 

この話を聞いて、

なるほど多様化が進む時代に成功する経営者とは、

文化の差異を柔軟に活用していける力を

備えていないといけないのだなあ、と

とても納得できた気がしました。

 

最近日本で話題になった、オリンピック関連組織の

旧態依然の姿を見ていると

何とも絶望的な気持ちになってきます。

 

ホワイトハースト氏が秀逸なのは、慣れ親しんだピラミッド構造

の文化と全く異なる仕事文化の論理を、

自身の面子や対面の問題、また自分が信じて来た社会通念とも

切り離して、受けとめられたところです。

 

レッドハットで働く人々が日々描いている仕事世界の風景を、

自分も共有しなければ何も前に進まない、と、

社長就任間もなく、彼は気づくことができた。

だからこそ、大きな成果を上げられたのでしょう。

 

仕事風景の共有とは、表現を変えれば「物語」の共有です。

 

デルタ航空の文化が染みついていたホワイトハースト氏と、

レッドハットで働いてきた部下との間には、組織、仕事、同僚、上司

などの意味付けに大きな差があって当然です。

 

その差異は、

仕事を進める上で現れる工夫、方針、意思決定、実施などに

根本から影響しているはずです。

 

部下は上の命令に従うものだ、という発想が根付いていた人と、

意味が分からない仕事はやる必要などない、と考えている人とが

共感して協働できる関係を築くためには、

 

互いの仕事観、組織観、等を含めた経験の知(=自分の物語)の

相互理解はどうしても必要です。

そして、それを進めていくためには、リーダーの側に、

他者に歩み寄る姿勢が必要なのは、言うまでもない事です。

 

さて、日本の大企業経営者のうち一体何割が、

部下から「(命令は)意味がないと思った」と足蹴にされた局面で、

自己反省的に振舞えるのでしょう?

 

そこまで極端には行かないとしても、慣れていない仕事のやり方や

前例のない仕組みの採用に、どこまで柔軟に取り組めるのでしょう?

 

この問いは、日本企業が今後生き残る上で差し迫ったものですが、

 

そこに進む手前に、

GAPのある他者の「物語」に関心を向けることが、

そして自らそれを聞きにいく姿勢を持つことが

多くの企業リーダーに、いますぐ求められているのだと思います。

 

 

 

総務省の高級官僚が公務員の「倫理規定」に

違反した疑いがあると、大きなニュースになっています。

禁止されている公務上の“利害関係者”から

接待を受けた、という疑惑です。

 

今回接待した側は、総務省から放送番組の“認可”を

もらえないと、ビジネスが出来ない立場の会社です。

ですから、この会社が認可する側の意思決定者を接待して

有利な判断を得ようとするのは、企業としては合理的な行動です。

 

逆に総務省の官僚は、そんなことは百も承知のことなので、

普通であれば絶対にそんなところに出ていく訳はありません。

 

それが出かけて行ったのは、誘いを断ることが難しかった

からです。

 

接待をする側の担当者が、自分たち(官僚たち)の人事権を

実質的に握っている人物の子息だったために、あえて

倫理規定を犯して、リスクを背負いこんだものと考えられます。

 

疑惑の張本人の一人であるA氏が、国会で答弁している姿は、

あわれというか、恥ずかしいというか、全くもって不様です。

ですが、同情の余地が無いわけではありません。

 

彼の究極の選択は、殆んど地獄の様なものだからです。

彼は以下の二つの力の狭間に居たことになります。

 

①    公務員倫理規定 - 破れば最悪クビ

②    権力者(生殺与奪を握る)-逆らえば出世の可能性はゼロ

 

クビよりは出世を諦めた方が賢明ですが、②は反逆が必ず顕在化

するのに対し、①はバレなければ問題にはならない。

 

だからA氏は、①を捨てて②につきました。

A氏の立場で言うならば、勿論積極的ではなく、

「しかたない」これくらいなら」という思いだったんでしょう。

 

しかしそれがバレて、最悪シナリオになってしまいました。

 

さて、長々と書いてきましたが、A氏の様なケースはそう特殊な

話ではありません。

 

規模や悪辣さに差異はあれども、似たような話は私たちの周りに

少なからず起きていることです。

 

つまり、A氏の様な状況に置かれてしまう人は少なからずいるし、

自分だって似た状況に絶対置かれないという、保証はありません。

残念ながら、私たちが住んでいる社会には、

こうした現実が少なからずあります。

 

それが何をもたらすのか。これが今回の話のポイントです。

 

接待の場に出かけていくのが危険であることは、倫理規定など

百も承知のA氏が、分からないわけはありません。

 

だから出かけていくに当たって、何を考えるかと言えば、

万一バレても致命傷は追わずに済む“言い訳”を考えることに

なります。

 

自分が出かけて行った行動を正当化するフィクション、

つまり「ウソの物語」がここから始まってしまうのです。

 

A氏は、総務省の重要な意思決定もしているので、

「ウソの物語」は、その意思決定の一環ともなり、意思決定に

関係する周囲にも、「ウソの物語」は共有されていくことに

なります。

 

本当ではない「ウソの物語」が、組織の中の然るべき立場の

ヒトから語られていき、既成事実化してしまう。

となると、そこからは事実を「ウソ物語」に合わせなければ

ならなくなる。ウソが次のウソを生む構造が生まれていきます。

 

勿論組織の中に、おかしいなあ、と思う人は出てきます。

 

でも、そういう人の声は、意思決定して「ウソの物語」に生きる

ヒトにはあまりに都合が悪いので、つぶされていく。

それが分かっているので、大抵の人は、おかしいなあと思っても、

知らんふりを決め込むことになります。

 

そして「ウソの物語」とはなるべく関わらないようにしたり、

遠目に見ながら、噂話をする程度で地下に潜っていく。

 

これが最後にどうなるかというと、組織内部のコミュニケーションに

沢山の断絶が出来て、真実が流通しなくなっていきます。

真実を語ろうとする人々は地下に潜って、

ひそひそ話をするようになり、

 

一方「ウソの物語」を語る同士もくっつきあって、

自己防衛的に集団を拡大していくことになります。

 

科学も実証も軽んじられ、まじめな社員は組織から逃げ出し、

組織文化は根底から腐っていきます。

 

繰り返しますが、これは特殊な話ではありません。

 

トップの「しかたない」「これくらいなら」という甘い認識で

「ウソの物語」が創作され、

それがじわじわととんでもないところまで拡大・波及し、

最後は組織を腐りきらせてしまいます。

 

今回の出来事を教訓に、組織のトップは襟を正して、

わが身を振り返ってみるべきでしょう。

 

そしてもう一つ。

国を滅ぼしたくないのであれば、

官僚が②を捨てて①を選択できる仕組みに、

一刻も早く変えていかなければいけません。