こんにちは。
昨日戦艦ローマの完成記事で少し触れたキティホークを完成させました
マイクロエースのこのシリーズは私が小学生の頃ぐらいから当時の有井製作所(アリイ)から発売されていて、当時は確かサラトガだったかインディペンデンスだったかを作った記憶があります
あの頃は私も今よりヘタクソで、無塗装プラ地に付属の艦載機を積みまくって満足していたのを覚えています
当時から、古いキットの割にパーツも細かくよく再現されてるなぁとは思っていました
たまに思い出すことはありましたが、購入には至らず、今回尼やホビサで調べたら当時とあまり変わらない価格でまだ販売されていることを知り、思い切って買ってみたのでした
(WL化の方策が思いついたのもあるんですが。
ちなみにキティホークはアマゾンにあるなかで一番安かったので買っただけで、特に思い入れはないです
調べたらベトナム戦争にも従軍し攻撃隊を発艦させ、その勇猛な活躍ぶりから勲章まで授与されたとか(Wiki情報
その後は太平洋艦隊に属し長く定係港の横須賀には居ましたが、遠方に住んでいるので実際に見た記憶はないですしね。
通常動力の現用空母としては最長の寿命を誇り私が大学生だった2009年に退役しました。
このキットの頃の姿は恐らく70年代~80年代初頭くらいで、なかなかこの年代の頃の空母ってWLではキット化されてないんですよね~
あの年代好きなフェチには刺さるかもです(けっこう居るみたいですから
普通に、この年代の空母を、WL化にはメンドウな加工が必要とはいえ、2千円にも満たない値段で買えるのはオトクでしかないですな(遠い目
以下製作記
船底切り取りの件、昨日の記事にも載せましたが、戦艦ローマの完成記事と混ざって分かりにくいのでこちらでも再掲します
まずはバルバスバウを切り取る
一番薄く、ニッパーの刃を綺麗に入れやすいため
あとは切り取った部分を起点に工具で切り取っていく
元々池や風呂に浮かべて遊ぶ玩具だったため、プラが異様に硬いので怪我に注意
気合いを入れれば切り取れはする船底
めんどくさいし、手が痛くなるけど、この年代の空母のWLモデルを手に入れるには仕方ないね
(何度も言うけど怪我には注意
Twitterには上げてたけど、昨日はここまでやって終了
在庫に薄いB4サイズのプラ板があったので、平船底とする
船体の切り方がザツで隙間が出来てたところをパテで埋めてしまい、ついでに補強とする
艦橋を組み立てたところで古い空母を引いてしまったなぁと。
組み立て完了
1/800とはいえ現用空母だからすごい存在感があります
甲板は熟慮の末佐世保工廠色スプレーを吹き付け
ラピッドシンナーが切れそうだったのでJoshinに走り新しいのを購入
エアブラシの洗浄に塗料の希釈にと目分量でジャブジャブ使ってしまうため、消費が早いのです。。
船体色は軍艦色1にしよう
このときまではそう思っていた
なにをトチ狂ったか実艦写真を見てしまい、明灰白色に変更
これはこれで良い色だが、軍艦色1でもよかった気がする
なぜかこの部分だけデカールが入っておらず、筆塗りの指示
何度目かの精神修行
前は絶対ムリー!とか思ってたけど、大量の1/72フィギュアで地獄のような塗り分けとか経験すると、大したことないと感じてしまう奴隷根性
デカールを貼り始める
デカール付けてくれるのは有難いですね、ええ本当に。
このラインデカールを貼り確信した、これは完全に古い空母だ(爆)
艦載機は最低限自分の積みたいものだけに止めておきました
余談
この前チェザーレというマンガを読んでからハマって調べ始めたサムシング
アラゴン王兼ナバラ王のアルフォンソ1世
なんか顔つきとか黒髪・黒目とか、日本人にも居ますよね、こういう人。
芸能人で言うと阿部寛とか北村一輝とか
チェザーレ・ボルジア
アラゴン系イタリア人で、かなり壮絶な人生を歩んでます
アラゴン王兼ナポリ王兼シチリア王のアルフォンソ5世
もっとも、政争の渦巻くアラゴン本国を嫌って南部イタリアで過ごしていたらしいですが
シチリアの晩鐘で分断されていた両シチリア王位を統合した人物だが、それも長くは続かず、王の死後再びイタリア南部はナポリ王国とシチリア王国に分断される。
両シチリア王国はノルマン人の遠征でビザンツ帝国から領土を奪い南イタリアを統合したノルマン朝を起源とする
ノルマン朝断絶後はシュヴァーベン大公、後の神聖ローマ皇帝ホーエンシュタウフェン家が継承
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は南イタリアで生まれたとされ、生涯ドイツ本国へ足を踏み入れることはなかった
フリードリヒ2世は開明的な皇帝だったが、それゆえローマ教皇から嫌悪され、彼の子孫は徹底的に滅ぼされた
こうして、それに大きく加担したフランス・カペー系王族のシャルル・ダンジューが南イタリアを継承した。
しかし、シチリア島においてダンジュー兵の地元住民への強姦事件に端を発した大規模な暴動が発生し、フランス系の住民が多数殺戮された。
シチリアの晩鐘と呼ばれたこの暴動を契機に、イベリア半島のアラゴン王(フリードリヒ2世の息子であった前シチリア王の娘婿)が南イタリア情勢に介入し、軍を派兵してシチリアを占領。シチリア王位の継承を宣言した。
こうして両シチリアの統合を夢見たシャルル・ダンジューの野望は潰え、南イタリアはフランス系のナポリ王国とアラゴン系のシチリア王国に長く分断されることとなった。