ママ友とのLINEと育児の光景〜「私物化」の話 | 巡礼者のブログ

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きのうの夜から、時々合一してしまう存在さんの正体が何者であるかを知ってしまう。今までは、仮の名前でやりとりしていたが、ハッキリと名前を特定できた、そして、何者であるのかを知り、もうここまで来ると、生きていても仕方ないのではないか?と思うほどで、そう思う人も多いせいか、現在では、その存在さんとやりとりしている地球の人は少ない。しかし、遠くにいる、という訳でもなく、偏在しているのである。空気さんの様に、あるいは、お魚さんたちにとってのお水の様に、当たり前すぎて、存在として認識できない、という事もある。

そういう日に、月曜日の祭日というのは、痛い。月曜日の祭日というのは、結構あることではあるが、主治医の時間は、祭日、振替休日はお休みなので、呆然として過ごすのである。

因みに、きょうのお役目で成仏したシャーマン さんの数もまた十四人。はやし浩司さんの動画で理解した事だが、14は7と7で、77でもあり、それはキリストを象徴する数字だという。しかも、きのうから、偶然も必然も含めて、7のオンパレードの日。そんな日に、合一してしまうことがある存在さんの正体を知るのであった。

そうなると、ルシファーと闘って亡くなったシャーマンさんたちの成仏に、14=7+7という数字が現れるのは、偶然ではないのかもしれない。

さて、「私物化」という話であったが、それは、哺乳類として、その中でも、特殊な人類であることと、都市化した生活が、生み出す現象なのではないか?という事を考えてみた。

赤ちゃんが生まれて、一人では赤ちゃんは何もできない姿で生まれてくる。それを、都市化した生活では、母親一人で背負っていかないといけない事から生じる、赤ちゃんとの距離の過剰な近さ、時間の長さ、それによって、母親には過剰なストレスが生じて、それが場合によっては、育児ノイローゼや虐待という事になり得る、という話である。

母親は、赤ちゃんの面倒をずっとみる。それが、単に、「産んだ」「自分が産んだ」「授かり物」という事から、「自分の子供」という発想になっていく、というのが、実は危険なのではないのか?という事がある。

確かに、母親は、赤ちゃんに手をかける。更には、「手がかかる」。すると、その、「手をかける」「手がかかる」という時間に、「この子を何とかしないと」「この子をコントロールしないと」「この子を制御しないと」という事になってくる。

実際、順調にいけば、子供は行動の範囲を拡げることができる。しかし、それを制御しないと、子供の安全に関わる、あるいは、人様の迷惑になる、あるいは、世間的がよくない、という話になってくる。

子供は先のことを考えない。少なくとも、大人的な意味では考えない。だから、考えずに、ぼーっとしていたり、考えずに、危ない?方向に全力で走り出したりする。面白いと思えば、それが人や生き物さんにはたまったものではない事でも、面白ければ、何でもやる。そこに、また、赤ちゃんとは別な意味で、手がかかる。

その様にして、多くの場合、母親は振り回される。時代が違えば、他の大人が、守ったり、怒ったりすることは、当たり前であったが、いまどきは、他人の子供に注意することは、あってはならない、という発想があるのかもしれない。つまり、その子は、その子の「母親の子供」であって、親でもない、別の大人が、他人の子供に、何か言う、する、というのは、反則技、という世の中になっている様に見える。少なくとも、都内での話ではあるが。

となると、その子には、母親以外の親、あるいは、親に代わる大人、が存在しないのである。だから、母親の負担と責任が重くなる、という事にもなるし、逆に、その子供の周囲の成人は、子供に対して、大人をやらない、大人をやることをサボる、あるいは、それをしたら、子供に対して、大人をやったことが、余計なお世話、あるいは、あってはいけないこと、過剰な干渉、という風に判断するのが、いまどきの母親、母親社会、ママ友世間、の流れなのではないか、という風に見える。

であるから、その子供に対する教育、あるいは、養育については、全て、その子の母親に押し付けられる。その様な、監視体制の中で、母親は、子供と生きなければならない。

いまどきの母親が、子供と向き合わない時間を作れるのは、iPhoneにLINEやメールの着信がある時である。しかし、それが、本当に息抜きになるか?というと、母親は、LINEやメールという形で、突然やって来る、侵入に対して、すぐに反応しないと、ママ友たちに、顰蹙を買うのではないか?という事で、それはまた、子供からのストレスと別のストレスとなっている。

ママ友が、自分の子供の世話をしてくれる訳ではない。しかし、LINEやメールに、すぐに返事をしないと、ママ友たちから「嫌われる」という、いささか、大人気ない恐怖感というか、ある種の対人恐怖で、自分の子供がなにかサインを出していたとしても、ママ友のLINEやメールに反応できないと、「嫌われる」と思ってしまうのである。

という事は、その母親は、大人として成熟していない、というか、自分には自分のペースがある、というのを守り切れずに、ママ友からのLINEやメールに対応してしまうのである。

しかも、悪いことに、そのママ友からのメッセージは、ウチのなんたらちゃんが、泣き止まないで困るの、どうしたらいい?という内容であったりして、自分の子供のことだけで大変なのに、ママ友は、誰でもいいから、わたしのストレスを聞いて欲しい!という、大人気ない動機で、子供の母親をやってるあなたに、メッセージをしてくるのである。

そういう悪循環で、子供を持つ母親は、ママ友世間を居場所にして、相手にしている以上、成熟した大人にはなれないのである。

その様な恐ろしい悪循環が、少なくとも都内では当たり前に散見されるのであって、果たして、この悪循環は、母親自身、あるいは、その子にとって、どうなのだろうか?というのを、街中や電車の中では、普通に遭遇する光景なのである。

結果として、母親は、自分が何をやってるのか、分からなくなり、その疑問と疑念は突然やって来て、LINEはやめましょう、と、ママ友に提案することもできず、深まる苦悩と、ストレスで、母親は、ヘタをすると、この子さえいなければ、という感情を抱くまでには、そんなにかからない、という悪循環なのである。

「私物化」の話まで、なかなか行けないのだが、これが、母親が子供を、私物化する、一つのありがちな過程なのではないかと思われる。

また、続きはその日の流れで書くと思う。


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