結局、世界は音で出来ているのか? | 巡礼者のブログ

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超爆睡。施設と地域の行事に出ようかと思っていたが、夕方近くなり、諦めて、藤井六段の将棋を観るとか、人様の記事を読ませて頂くとか、タラタラと過ごす。というか、そもそも、お金さんもないので、動きもとれないし、まあ、静かに過ごせて、それはそれで良い。

このところ、ある方の記事の中で、一つのテーマとしての、宇宙は音で成り立っている、という関係の記事を拝見している。

多分?というか、オレが存在さんたちと話したり、とか、天籟〜てんらい〜を聴いたりとか、いう暮らしは、そこに周波数?を合わせてしまっているのではないか?というのが、その方の記事を拝見していて、そうかもしれない、と思う。

あるいは、そうではなくて、単に、分裂病系、統合失調症系の戯言であるのかもしれないのだが、中井久夫先生によれば、そちら系としては、兆候優位性、とか、微分回路とか、そういう中井久夫用語があって、患者としてのオレは、そういう記述が極めて納得度が高い、というか、オレってそうだよなー、とか、思ったりするのである。

そうなると、分裂病系、統合失調症系の人が、回復の一つのパターンとして、シャーマンになってしまう、というのは、やはり、納得してしまう、というか、オレ自身がその症例だったりするので、納得というより、体現というか、そのまんま、という訳で、シャーマンって、周波数をチューンすることで、分裂病系、分裂病親和者として、病気?というか、遺伝子の傾向に適応してるんではないのか?と思ったりするのである。

となると、世界は音である、とか、周波数である、というのは、オレ的には、分かりやすい話で、それが極論であったとしても、でも、オレの場合は、その様に生きている、ということで、他の人様のことは知らない、で、落ち着いてしまうのである。

植物さんとかと話す話も出てきたが、あー、オレがやってるのと、おんなじなんだろうなー、と思ってしまう。ただ、オレの場合は、語りかける前に、存在さんたちの方から、語りかけるのに気がつく場合が、結構多い、というのがある。その辺りは、ユタさんとか、そういう在り方と近いのかもしれない。

だから、日常生活が、普通の人にできることが苦手だったり、過剰に受け取ってしまったり、で、日常を生きにくい、というのはある。電車、特に地下鉄さんとか、地獄であるし、普通⁇の生活が大変である。

それはともかく、昔読んだ本にも、世界は音でできている、という事を徹底的に語っている一冊があったが、二年くらい前だったか、音楽家の友人にあげてしまった。とりあえず、世界は音である、というテーゼと、状況証拠と、オレなりの日常があれば、まあ、世界については、そういう認識の線で、まあ、いいかな、という事である。

そういう認識をしておけば、オレも、少しは暮らしやすくなるかもしれないし、そこだけ何となく理解していれば、特に他人さまに説明する必要もないだろう、ということで、存在していることが、少し楽になるかもしれない、という訳である。

でも、そういう話というのは、結構昔からあって、ナショジオなどでは、いろんな番組で、その辺りに触れたり、それを手段として、いろんな実験をしていたのを観ていた時代があるので、世界は音である、というのは、科学的?にも、そんなに異常な結論でもないのかもしれない。

ただ、周波数である、としても、同じ周波数でも、音色、響の違いで、まるで印象が違うので、iPhoneのアプリケーションとかは、豊かな響きがない、というか、倍音が鳴りまくっていないので、心地よさとかは、感じられないのである。

とりあえず、倍音が豊かでないと、アプリケーションであろうが、音源であろうが、演奏会であろうが、あんまり意味がない。

その辺りは、余談になるが、素人の演奏会で、倍音が豊かである、というのはあんまりないし、プロでも、それがちゃんと出来ている場合と、そうでもない場合というのは、ハッキリと違うのである。

最悪?なのは、素人の合唱団とかで、デカイ声をだしていたり、声を自慢していたり、という事は、極めてありがちな事であり、倍音が聴こえる合唱団なぞ、ほば皆無であるし、ヘタをすると、デカイ声を自慢にして、倍音どころか、暴力にしかなっていない団体なぞあって、過敏なオレの場合は、医務室行き、とか、なることがあるので、勘違いでやってる人は、永遠に勘違いで、それを立場にしてるんだから、破壊的だよなー、と、思ったりするのである。

でも、そういう自覚というか、気がつく、という事がない限りは、日本の?アマチュア団体に、未来はないんだろうなー、と思ったりする。

余談が長くなったが、世界は音で出来ている、あるいは、音そのものである、としたら、あとは、響き、である、どう倍音が豊かに響くか、なのである。倍音の結果が、世界、とか、宇宙、とか、存在さんとか、そういう事なのだ、としたら、そっちの方から演奏をする団体があっても良さそうなものだが、オレはしらない。

こうなると、案外、マトモな音叉さんとか、検討してみる価値はあるのかもしれない。最近では、もう、音叉だけで治療する人とかもいるし、基本的なのを一揃い買うとかいう根性はあってもいいのかもしれない。