「おかあさんといっしょ」という洗脳装置と、オリンピックと | 巡礼者のブログ

巡礼者のブログ

ブログの説明を入力します。

 また、懲りずに、オリンピックの記事である。というか、この問題は根が深いのである。もう、幼児の頃から、オレたちは、オリンピックの入り口、というか、そういう世界観に洗脳されようとしている、という現実がある。

 オレは、ある時期、二年くらいだが、某・こどもをあずかる施設、で、ボランティアをしていたことがある。いろいろと感じることが多い時間だったが、きょうのテーマ、というか、手さんが書いてくれるのは、「体育主義」についてである。

 体育主義、とか言っても、あんまりピンと来ない話題というか、逆に言うと、それに染まり切っているから分からない、というテーマではある。

 で、そのこどもの施設では、ほとんど常時テレビがつけられていた。アンパンマンもあるし、ディズニーもある。個人的に、オレは、アンパンマンを、子供と一緒に観ていると、「バイキンマンの居場所はどこなの」とか、真面目に考えてしまうのである。ドキンチャンはルックスで何とかなっているのかもしれないが、何より、バイキンマンの居場所である。それがどこにあるのか、分からない。そして、アンパンマンも、結局のところ、バイキンマンがいるから、立場がある、という存在である。

 だが、子供たち、というのは恐ろしいもので、「アンパンマン」という言葉は何度も口にしても、「バイキンマン」という言葉を発したことは、一度も聴いたことがない。
 
 オレは、むしろ、子供から、「バイキンマンは、どこにいたらいいの?」という質問を期待していたくらいだ。だが、二年の間に、その言葉を一度も聴いたことはない。

 なんか、アンパンマンの話になってしまったが、もう一つ、「おかあさんといっしょ」という番組がある。これも、子供たちにとっては定番である。そして、何と言ってもスターは、「たいそうのおにいさん」である。

 たいそうのおにいさんの、本人の名前を知る子供は少ないと思うが、たいそうのおにいさん、という「立場」の人間は知っている訳である。ということで、オレからすると、この辺りですでに怖い。

 つまり、子供、それも二歳とかもっと下、という子供は、たいそうのおにいさんのことをよく理解しているのである。つまり、たちば、というものがたいせつ、ということは、幼児は実によく理解しているのである。

 だから、ボランティア、としてのオレの立場とか、理解していて、それに相応しい接し方をする。少なくとも、彼等は、オレには権限がない、ということを理解しているのである。

 たいそうのおにいさんの話に戻ると、オレが恐ろしいと思ったのは、あの、NHKホールでの「おかあさんといっしょ」のライヴ映像である。ここに、もう幼児向けの体育主義が露骨に表現されていた。

 オレは、NHKホールで演奏したことがまだないので分からないが、舞台としては、かなり広い方だと思う。何せ、三つの舞台を設定できる設計になっているくらいで、オペラの公演では、これが大活躍する。

 話は、たいそうのおにいさんの話に戻るが、そのでっかい舞台に、わらわらと、たいそうのおにいさんと同じ服を着た、たくさんのおにいさんたちが、登場するのである。本当に、凄い人数である。多分、あの人たちは、街の、あるいは、どこかの「小さなたいそうのおにいさんたち」である。

 N響の公演とか、そういう人数ではなく、もう、何百人のたいそうのおにいさんたちがいる。そして、何を始めるか、というと、巨大な人間ピラミッド、の様なことを始めるのだ。もう、学校でやるとかいうものではなく、立ったまま、みんなで、人間ピラミッドを作るのだ。

 そして、その頂点はひとりだけ、である。もちろん、それは、「おかあさんといっしょ」の「たいそうのおにいさん」である。

 そんな訳で、おかあさんといっしょ、の、たいそうのおにいさん、というのは、実に権力の頂点を意味することを、その番組で理解したのである。

 下々のたいそうのおにいさんがいて、そして、その上には、もうちょっとメジャーなたいそうのおにいさんがいて、さらに、その上のおにいさんがいて、と、それが、何段階のヒエラルキーになっていたのか、オレはよく思い出せないが、四段か、五段はあったはずである。

 これを観て、オレは、こんなもの、「おかあさんといっしょ」で見せていいのかよ、と思う。

 単純に言っても、多くの子供は、その頂点にいる、いつもの「たいそうのおにいさん」にしか意識が行かないだろう。そして、じぶんも「あの」たいそうのおにいさんみたいになりたい、と思うだろう。

 決して、子供たちは、一段目の、下々の体操のおにいさんにはなりたくない、というか、そんな発想しか持てないだろう。

 そんな訳で、「おかあさんといっしょ」という番組は、露骨な、子供に対して、洗脳を行う番組なのである。少なくとも、「たいそうのおにいさん」に、自分を見出し、そう在ろうとする「心理」を刺激する、体育主義の番組なのだ。

 そんな訳で、ヒエラルキー、というか、人間には、階層がある、立場がある、序列がある、ということを教育する、あるいは洗脳するのが、「おかあさんといっしょ」という番組なのだ。

 オレは、そのライヴを観て、オレは、この施設でどうしたらいいのか分からない、という感じに取り付かれた。そして、悩んだあげくに、もう、施設にはいけない、という日が続き、とうとう辞めてしまった。

 そんな訳で、「おかあさんといっしょ」というのは、実は、「ぼうやがどんなでも、わたしが受け止めるわ」という母性の番組ではなく、「じぶんは、たいそうのおにいさんみたいにいちばんになる!」という、歪んだ父性、というか、孤高の子供たちを作る番組なのだ。

 こどもたちと接していて、いろんな体験があったが、この「おにいさんといっしょ」もとい「おかあさんといっしょ」という番組は、実に恐ろしいメッセージがある、とオレは知ったのである。

 幼児の段階からの体育主義による洗脳、一番じゃなきゃいけない、という洗脳、その立場にならないといけない、という洗脳、が「おかあさんといっしょ」のライヴにはあった。

 オレが空恐ろしいのは、その「おかあさんといっしょ」で洗脳された子供たちのわずかに選ばれた人間が、「オリンピック代表になる」ということだ。それは、子供のときの心理と何ら変わりない。

 おかあさんといっしょ、は、子供を成長させるのでなく、幼児の心理のまま、競争をさせる、という洗脳があるのではないか、と思う。

 だから、オレは、オリンピック、というのは、おかあさんといっしょ、のライヴと同じだと感じているのである。そこに、大人としての「個」はなく、ただただ「メダルを取って認められたい」という、学童化社会の頂点の「たいそうのおにいさんたち」がいるだけなのだ、と思っている。

 時間にて、これにて失礼。