1) 不思議な弥勒菩薩半跏像

広隆寺は秦氏の氏寺であり、京都で最も古い寺院の一つである。秦河勝が建立したとされ、本尊は聖徳太子である。

江戸時代の儒学者・大田錦城 ( おおた きんじょう )は、「寺という名はついているが、仏教の寺ではない。景教 ( けいきょう ) の寺である。」と言っていた。景教とはネストリウス派キリスト教である。中国で一時広まった景教寺院、これの名が「大秦(だいしん)寺」と名付けられていた。「大秦」(うずまさ)とは、当時、ローマ帝国かその近辺の地域を指していた言葉と考えられる。そこで、ローマ帝国での宗教であるキリスト教の寺院という所から、「大秦寺」の名を付けられたようである。

秦氏は機織りの技術者集団でもあり、絹布を大和朝廷に対する租税としていた。このため、この地には絹布が「うず高く」積み上げられ、秦氏は朝廷から「兎豆満佐 (うずまさ)」の姓を与えられた。この「うずまさ」を太秦の文字に当てたというのが定説である。

弥勒菩薩半跏像では、右手の薬指と親指を合わせて、他の指は立てている。(添付図)。ギリシャ・イコンのバントクラトールのキリストも同様である。

司祭が奉神礼において信徒を祝福する際に十字が画かれる。この時、指の形と画く順序がある。イエス・キリストのギリシャ語読みの頭文字である「ΙΣΧΣ」を象るように整えられるように十字が描かれる。

伸ばした人差し指:Ι、

曲げた中指と小指が:Σ、

親指と薬指の交差がΧ

https://ja.wikipedia.org/.../%E5%8D%81%E5%AD%97%E3%81%AE...

つまり、弥勒菩薩半跏像の右手はキリストのXを示すポーズと同じである。仏像でも、手のポーズで何らかの意味を表す印相 ( いんぞう ) があるが 、日本の仏像で、この広隆寺の「弥勒菩薩半跏像」に似た手のポーズを取っている仏像は他にない。

2)  秦氏はユダ族であった。

❶ 秦氏とは

秦氏は秦の始皇帝の直系ではないが秦王朝縁りの一族の可能性があり、応神朝の時代に百済から渡来したとされる。少なくとも秦という姓は百済の扶余族の名前ではない。始皇帝は長身であり、その顔付きはユダヤに似ている。

隋書倭国伝に、秦氏は豊前に秦王国を作ったと記載されている。その後、河内に移住し、土木工事、機織り(秦氏が由来とされる)など。河内王朝を支えた。八幡神社や広隆寺等を創った。

南ユダ王国に属するユダ、ベニヤミンの2部族の末裔は、ヘブライ語でיהודי(yehudi、イェフディ) と呼ばれている。中でも王権を継承する役目を担ったユダ族はיהודה(Yehudah、イェフダ) と呼ばれていた。その綴りは、ヤーウェーの神を意味するיהוה(yhwh) に一文字ד(d) を付け足しただけである。そしてユダ族の「イェフダ」から神を意味するי(y) を除くと、「フダ」となり、「ハダ」とほぼ同じ発音である。

❷ 八幡神社

秦氏縁りの神社は豊前の八幡総本宮 宇佐神宮である。の八幡(ヤハタ)という言葉がユダ族を意味する「イェフダ」の発音に酷似していている。また、ヘブライ語で「ヤー・エハッド」、「唯一の神」という言葉があり、それが「ヤハタ」の語源であるという解釈もある。

宇佐神宮の狛犬は二頭とも、ユダ族のシンボル、獅子(ライオン)である

❸ 稲荷神社

「渡来人であった秦氏の氏神的稲荷信仰をもとに、秦氏の勢力拡大に伴って伏見稲荷の信仰圏も拡大されていった」と『日本民俗大辞典』は述べている。稲荷は「いなり」とは読めない。なぜイナリと読むのかという理由のひとつにINRIのことであるという説がある。

INRI は、イエス・キリストの磔刑においてその十字架の上に掲げられた罪状書きの頭字語(ラテン語:IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM)である。日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。

信じがたい説ではあるが、もし、弥勒菩薩半跏像がキリストを意味しているとしたら、この稲荷=INRI説も、あながち否定しきれないであろう。