私とピアノ | ✼•┈•✼ Benedizione ✼•┈•✼

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息子の応援とオペラと声楽
ピアノ練習、そして
主イエス・キリストへの賛美


先日、選定で弾いてきた
ボストンピアノの音が忘れられなくて
おります〜
本当に
いい音だったなあお願い

実家のスタジオに来るのが
楽しみですニコニコ

ボストンピアノのことを思いながら
感慨深くなっていた時に
自分の音楽遍歴のことを考えておりました。

少し長くなりますが
自分のこれまでの音楽遍歴を
振り返ってみたいと思います〜
今まで他人に話したことはあまりなかったので今更こんなのお恥ずかしいですが…驚き

ご容赦くださいアセアセ



私自身ピアノは5歳位から
近所のピアノお教室で習い始めました。
きっかけは、姉がやってたから
と言うだけで、特段ピアノ好きとか
そういう訳ではなく、
何となく流れで始めました。

自宅にあったのは最初はオルガン。
姉が小学校中学年ごろだったか
高学年ごろだったか、
正確にはいつか全然覚えてないですが
今あるYAMAHAアップライトピアノを
両親が買ってくれました。

その時の様子とか感情とか
私は全然覚えてませんえーん

ピアノ?へぇーみたいな感じだったのかな?
幼かったせいか印象にありません。

とにかく
ピアノの先生が怖くて
練習するのが楽しくなくて
教本やるのがつまんなすぎて
ピアノの先生はすぐ手を叩くので
怖いし毎週お教室は泣きながら
やってたのもあって
楽譜読むのも嫌いすぎて
ピアノ弾くのは楽しいけど
お教室と教本練習は嫌い…
そんな感じでした。

でもまあそれなりに段々と
弾けるようにはなりまして。

しかし…
小学校中学年になり
校内合唱コンクールの伴奏を
任されることになって
小学3年と4年の2年間に
担任の女性教師2人に
音楽の授業を中心に
生意気だと毎日虐められまして
なかなか苦しい小学生時代の
幕開けとなりました。
そこから
ピアノに対しては自信を失い
ただただ悲しく悔しい思いだけがあり
極度の本番あがり症になり
人前で弾けなくなりました。

でも音楽は好きだったみたいで
ピアノを離れながらも
別な楽器に興味を持ちました。

小学校高学年で何故か
トランペットにハマりまして
しかし進学先の中学校には吹奏楽はなく
合唱だけだったので
合唱部に入りました。
ピアノを弾けることはあまり表には出さず
歌に打ち込みまして、
中3のときには部長になりましたが、
部員も少なくて、
コンクールは参加賞程度の成績しか
出せませんでした。
志望高校は
県立女子高でしたが
オーケストラ部のある学校でしたので
早く卒業してオーケストラやりたくて
勉強頑張りました。

無事高校入学して早速オケ部に入部、
トランペット…と思ったら
他の中学校の吹奏楽経験者で埋まっていて
断念しました。
それで
初心者が多かったチェロを
始めることになりました。
チェロはなかなか面白くて
結構練習したのですが
やっぱり楽譜読むのが嫌いすぎて笑
上手くならなかったですねぇ
今考えれば
ソルフェージュ勉強してたら
もう少しマシだったのでは?
と思いますが
当時はそんなことはつゆ知らずです。

そこのオケ部は
当時、毎年全国大会で金賞とるような
名門オケ部でして…
指揮してた音楽の先生が
凄かったと記憶してます。
私なんか下手クソながら
チェロ弾かせてもらって
結果パートリーダーまでやらせて
頂いた記憶が…
顧問の指揮の音楽の先生が
専攻がチェロだったのもあって
オケ部のチェロは先生の高級チェロを
使わせて貰える機会がありまして
私なんかのド下手が弾いても
あまりにいい音で
感激した覚えがあります。

今は有名な某指揮者の方の
凱旋公演で共演させてもらったり
豊橋市の音楽祭にも
演奏旅行したこともありました

チェロは
なんだかんだ言って楽しかったです

コントラバスパートの友達と
わちゃわちゃして楽しかったのを
覚えてます

高校時代は
ほとんどピアノは弾きませんでした
チェロの音合わせのときだけ
使いましたね煽り

その頃は
将来大人になったら
チェロのいい楽器買って家で演奏するんだ!
と思ってました

結果買ったのは
いいピアノだった、
とあの時代の自分が知ったら
驚いて目玉飛び出すかと思いますウシシ

楽しい部活も
受験勉強のために終わりを告げました
音楽を続けることは
趣味範囲で、という両親の意向もあり
もともと歴史好きだったのもあり
総合的な大学の史学科に進学しまして
一人暮らしを始めたのもあり
大学時代は
ピアノとは全く縁がありませんでした

当時はすでに姉も音楽から縁遠くなって
まして、私よりも先にピアノを
弾かなくなってましたので
結局、
実家のアップライトピアノに至っては
私の中学卒業以降
誰からもまともに弾かれなくなりました。

調律もお金がかかるし
誰も弾かないし
これから先も弾かないだろうし
もう中古屋さんに売るか?
という話も出りしてた頃…

突如あれよあれよという間に
色々ありまして何故か
息子が音大に行く流れになり…

そこから今日まで
アップライトピアノは
しっかり調律され
私に弾かれまくっております
ꉂꉂ(´▽`)ハハ

こうやって振り返ってみると、
私はもともと音楽は好きだったのかも…

先に書いた通り、
私は大学時代以降は
音楽とは無関係で
歴史と合気道とPC等のサブカルに
夢中でしたけれど…
思春期はクラシック漬けだったということ…
今の今まで
すっかり忘れていました。

ピアノから遠のいたのは
やっぱり小学校の担任教師2人に
2年間ピアノの事で虐められたことが
きっかけだったのだと…

今こうして
毎日ピアノに向き合って
たくさんの美しい曲を練習して
楽しく弾いて
楽譜読むのも長時間練習するのも
全く苦痛ではなくなっていて…
多少なら人前で弾いても
緊張しなくなりつつあります。

昔の幼い頃のトラウマがやっと
薄れてきていることに気づきます。

しかし
幼き日のピアノに対する
トラウマからの脱却に
これほどの月日がかかるとは…

あの時の担任の先生方は
今どうされているかは分かりませんが
教師が幼い子供たちを理不尽に
傷付けることは
子供たちのその先の人生に
大きな影響を与えることになると
そのことを身をもって知りました。

トラウマから脱却の全ては
息子が音楽の道に進んだことが
きっかけです
その息子とて
苦しくてつらい野球小僧人生からの
大転換だった訳ですから…

これらの大転換は
大地震での被災や手術も含めて
あらゆる困難が私たちに束になって
襲いかかってきたさなかに、
その困難のなかで
藁をも掴む思いで
主イエス・キリストに出会い
結果、主を信じた所から始まっています


今もまた、私は思ってもみなかった
新しいことに挑戦させられていますがキョロキョロ
でもこれは楽しみを持って進ませて頂いてる
そんな感じでやっています

これからは
過去を振り返らずに
前を見て、
そして美しい音楽と音色を心の底から楽しみ
音楽を下さった主への
感動と感謝を伝えるべく
喜びと愛を持って日々真摯に
生きていきたいです。