創価学会の人から、僧はいらない

「勤行なんか自分で出来るから」

「僧なんか折伏もしないんだから」

などとよく聞いてた

 

あれ?大聖人様御自身がお坊さんですが?

 

と言いたいところだが

実際に、その宗門の御僧侶の世界を見て

私がどのように思えたか?

また、私以外の元創価の方々などの意見もお話したい

 

もう一度言っておきます

これからお話することは、私だけの感覚ではない

 

 

 

 

創価を辞めてた私を救い拾ってくださった「樋田さん」

その方と出会った時の事からお話させて頂く

 

樋田さんと出会った時の印象だが

会った瞬間

 

 非常に逞しい人かつ、柔和で強い方

 

このような印象が強かった

一発で惚れてしまったw

(私は男だがそちらの系は無い)

 

しばらく、樋田さんと会うと、「大聖人様」と呼び間違いそうになっていた程

とにかく凄い方だ

 

どのように凄いか?

まず、創価が好きそうな経済の事から

 

「経済」

  一般人から比べると桁外れのお金持ちの方だ

  しかし、貧乏出身だそうだ

「人間関係」

  素晴らしい御家族をお持ちで、皆さん健康で、綺麗な奥様、お子さん方々が

  本当に素晴らしい人間性と精神性をお持ちの、当に誰もが憧れるような一家だ

  又、多くの仲間から慕われ尊敬されているのも事実だ

「健康面」

  樋田さんはとにかくタフ男だ

  長野から千葉に折伏フォローへ来たと思ったら、明日は兵庫、大阪へと

  こんなことは日常茶飯事。またお酒をかなり飲んでも酒癖が悪くない

  悪いどころか上機嫌になられるので、いつも少し飲んでいても構わないですよ

  と、言いたくなるw

  そしてとにかく酒に強い。ものの一時間であっという間にシラフに近い。

  強靭な肝臓の持ち主だ。本人曰く「正宗の信仰で強く成った」だそうだ

「精神面の健康」

  この人は、とにかく多趣味、『絵』『ロードバイク』『スキューバダイビング』

  『武道』『山登り』などなど、沢山

  本人曰く「功徳が常態化(当たり前)になりすぎている」だそうだ

  早く言ってみたい(^^;

 

信仰の面では、教学のずば抜けた凄さ

唱題、折伏行の行体のずば抜けた凄さ

それらからくる、多年の功績の凄さ  

 

これらは桁外れだ

 

また、日本の各地に...

は!( ̄▽ ̄;)

これ以上言うのは本人の許可を得てからの方がいいかもしれない  

止めておこう

 

とにかく

 

人が人に生まれて、欲しいと思う事、

全てを持っている人が「樋田さん」と言えるような人だ

 

こんな凄い人が今では私の在家の師匠だ

 

これだけは言える

樋田さんと匹敵するような凄い人は創価では見たことが無い

正直、長年創価を見て来たが、学会員では

 

「足元にも及ばない」

 

この言葉がまさに相応しい

 

 

上記を聞けば樋田さんは喜ぶかもしれない

がしかし、単に褒めているのではない

只、事実を述べているまでで

 

さらには

 

上記で私の知る樋田さんを全て語ることも不可能

結局一部に過ぎない

故に、これでも控えめに言っている程だ

 

それほどに樋田さんは凄い!

 

 

 

 

 

そんな、桁外れに凄い樋田さんだが

日蓮正宗の御住職様を前にすると「子供」だ

 

もう一度言おう

 

強靭な強さを持つ凄い樋田さんが

日蓮正宗の御住職様を前にすると「子供」になるのだ

 

それは、信仰していれば、御住職様との付き合いの中で色々な場面がある

その全てにおいて、樋田さんは子供だ

 

「子供」という表現は、無邪気にはしゃいでいる子供と言う意味ではない

そのような意味も、含まれてはいるがそうではない

 

親子ほどの「差」が全てにおいて、現れている

客観的に見れば見るほど、その差は歴然!

 

少し話はそれるが

 

私が、初めて、お寺に御参詣へ行った時の感想はこうだ

 

「うわ~、本当にお坊さんが居る、なんか凄い♪」

「あ!塔婆が立ってる(*^_^*)今の時代にもちゃんと木の板の塔婆だ」

「御僧侶が居て、塔婆を書写されていて、御書通りじゃん!」

 

まず、日蓮正宗のお寺に行けば分かるが、御書通りの世界が現実に有る

 

 

 

そのお寺の御住職様=日蓮正宗の御僧侶は、在家とはかけ離れた

 

「威徳」

 

を、お持ちだ

 

その威徳は何からくるのか?

 

 

 

富岡:「樋田さん。あの御住職様の威徳は何からくるんでしょうかね?」

樋田:「袈裟です。袈裟に功徳が流れてくるんですね~」

富岡:((心の声)そうかもしれなけど、人も凄いんじゃないの~?)

 

そして、私は、とある時

お寺の御住職様から袈裟を見せて頂く機会に恵まれた

その袈裟のある部分に「御本尊のような御文字」が書写されていた

 

しかも!

 

猊下様御真筆だそうだ

 

御本尊のようだが、どこか違うような・・・

在家が見たところで良く解らない

 

当に、如来秘密神通力が袈裟に刻まれていたようだ

 

大聖人様の御法門は全てにおいて観念的なものでは無く

 

『人法一箇 独一本門戒壇の大御本尊』を根源として、

全てが、法で繋がっている

これは、こちらへ入信してみない事には解らないかもしれない

がしかし、御授戒もそうだ

 

 

御本尊を頭に御受けする

それをしなければ、どんなに逆立ちをしようが血脈は通らない

 

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御講聞書
今南無妙法蓮華経有れ共、今身(こんじん)より仏身に至るまでの受持を受けずんば、成仏は有るべからざるなり

(創価、顕正には御授戒は無い)

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故に、道理とまさに如来秘密神通之力で全てが繋がっている

としか言えないような事が袈裟のある部分を見せて頂いたことで

良く解った

 

だから、樋田さんの言う通りに、袈裟に功徳が流れ

その袈裟から受けた威徳により御住職様が如来様のように感じるのかもしれない

 

よく創価学会員が、宗門は「猊下様に伏せ拝」をする人を馬鹿にするが

私は、宗門へ来て初めて分かったが

伏せ拝をしている方々は、責任感や、アピール、信心を高める為などなどで

行っているのではない

 

猊下様の威徳に自ら身を「折って伏せたくなる」のだ

 

故に、御法主猊下様は常に折伏の極致に居られる

常に、折伏をされておられるのだ

猊下様は、折伏の究竟と言える御方だと私は猊下様にお会いした時に

 

そう実感した

 

現に日蓮正宗へ帰依した全ての方は猊下様の折伏だ

また、末寺の御住職様は常に折伏をされている

去年はアメリカにまで行き折伏、寺院では「今日折伏が入りました」

などなど、御僧侶にとって折伏は日常茶飯事だった

 

 

創価は、僧侶は折伏をしないなどと言うが「嘘だった

イメージで人を決めつけるのが学会員の悪い癖

 

 

 

 

上記それらは私だけが感じている事では無かった事も事実

「僧」にはそれほどの「威徳」があるという事は

日蓮正宗に来てみなければ解らないとも言えるのかもしれない

 

この威徳を

 

御書と合わせて分析すればさらに納得が行くかもしれない

 

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立正安国論  

「頭(こうべ)を剃り袈裟(けさ)を著(じゃく)せば持戒及び毀戒(きかい)をも、天人彼を供養すべし。則ち為(こ)れ我を供養するなり。是我が子なり。
若し彼をか打すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。
若し彼を罵辱(めにく)せば則ち為れ我を毀辱(きにく)するなり」

 

※頭髪の毛を剃り、袈裟を着ている御方は、例え戒律を保とうが、保たなかろうが

 天人よ彼を供養しなさい なぜなら則大聖人様を供養している事となる

 その袈裟を着ている御方は大聖人様の子供です

 もし、彼を殴ることがあれば、大聖人の子供を殴ることとなる

 もし、彼を悪く言えば、大聖人を罵倒している事となる

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袈裟を着ている方は、大聖人様の御子さん

それはそれは、威徳も凄い訳だ

 

あれ?御書に、袈裟を着ている方の悪口は大聖人様への悪口となる

と仰せられていますが。創価学会顕正会の皆さん大丈夫でしょうか?

罰当たりな事をやっているとお気づきでしょうか?

 

そして、特筆すべき点は

「戒、例えば五戒などを保っていなくても、関係なく天人に彼を供養しなさい!」

と仰せられている点だ

 

五戒など関係なくなるほどの大聖人様からの功徳が御僧侶には

流れ通っているという事だ

 

故に、大聖人様の功徳は、もはや人間性、人格など関係が無い

 

創価では、「まずは人格、人格から」と言われた

 

もし、人格が先に備わせなければいけないのであれば

「悪人成仏」はどうやってするのだ?悪人が故に人格は酷いものだ

しかし、それが成仏すると説かれている事は有名で、創価も良く知っている

 

創価に悪人成仏の世界などない

 

日蓮正宗の功徳は、御書通りで本当に人格など関係ない

功徳を頂ける条件を満たしている信仰をしている方々は

例外なく全員、人生が幸せの方向へとひっくり返っている!

 

これは、私が宗門へ帰依して初めて知ることとなった「本当の事」である

 

 

 

話は威徳に戻る

 

こちらへ来てとにかく、会ってみれば解る

猊下様は尚更だが、寺院の御住職様の威徳が凄いのだ

 

ま、文面では伝わらないだろうが

嘘だと思ったらこちらへ入信してみるといい

 

 

これらが、あの強靭な樋田さんが御住職の前では「子供」になってしまう理由だ

 

 

また

 

 

このように思えた感覚は私だけではない

まわりの仲間の全ての人が、日蓮正宗の御僧侶の威徳を感じている

 

TMさん:「御住職は完全に人知を超えている」

MTさん:「威厳が凄い」

TKさん:「全く、偉そうな上から目線を感じられないね」

TPさん:「御僧侶はちょっと別格なんですね~」

TEさん:「御住職様はとにかくお美しい」

 

などなど、皆さん私と同じような事を感じている

 

特に、TMさんは元創価の「広宣部」だった人だ

元謀略活動をリアルに行い僧を馬鹿にしていた人だ

そんな人でも、本当に日蓮正宗の御住職様と縁をすれば

完全にひっくり返るのだ

 

日蓮正宗の御僧侶は

とにかく、「威徳が凄い」と同時に全く偉そうではない

この二点が主に皆感じるところのようです

 

 

 

それに比べて創価学会の幹部ときたら・・・笑

比べ物にならないとは、まさにこの事w

 

創価幹部は、決まってと言っていい程「マウント」を取ってくる

意見を言えば、上から目線でマウント取に必死だ

 

創価学会の幹部連中が言っていた事は

日蓮正宗の御僧侶に対して、創価の勝手な妄想を只言っていただけだった

その事は私が宗門へ入信して初めて解かった

 

 

創価が言う事は、全て嘘!と言っていい

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「本尊はニセ物」

「池田大作の大聖人直結の嘘(直結は御書に書かれている)」

「創価学会は功徳が出るの嘘(出るのは魔の通力と災難だけ)」

「日顕上人は大聖人を裏切ったの嘘」

 

 

「御僧侶は折伏をしないの嘘」

「御僧侶は偉そうにしているの嘘」

「大石寺は荒れ放題の嘘」

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創価は悉く嘘ばかりで、むしろ

『創価の言う事の真逆が本当の事』だと思って間違えない

 

 

 

 

創価学会の皆さん

御僧侶を馬鹿にしてないで、一度、客観的になって思慮深くお考え願いたい

 

お寺と僧を馬鹿にする創価学会は、およそ一般人から見たら

どれだけ在家が偉いんだと気持ち悪がられ、全くもって罰当たりな在家団体だ

と思われている現実を学会員は知らない

 

なぜなら、学会の常識しか取り入れない閉鎖的世界だからだ

それじゃ~どことの国と変わらない

 

顕正会も同じだ!

 

僧を馬鹿にしている、創価学会は今や顕正会と同じことをやっているのだ

是非その辺りを客観視してみて欲しい

 

そんな低い次元に浸って、罰ばかりの災難だらけの苦しみなど味わってないで

日蓮正宗に帰伏して、本当の功徳を味わいましょう!

 

 

 

https://twitter.com/buttyaketommy