前回のつづきです
ネガティブもポジティブも両方必要
そして結局
インパクトのある意地悪な先生に出会わなければ、これが嫌なんだ、、!っていうことがわからなかったんですよね。
色んな人がいるんだからしょうがない
嫌だけど我慢できないほどじゃないし
いつも関わるわけじゃないからいっか
とかあまり深く考えないようにする癖がありました。
でも、以前とは考え方が少しずつ変わっていた私は
我慢できないほどじゃないけど、こういう人がいる空間に通っている自分が嫌だな、これからの人生も、こういう人が存在する世界に我慢している自分がいいのか?
え、、、やだよ😖
ってやっと思えて、辞められました😂
どういう世界がいいのか。
とにかく人に良い影響を与えない人と同じ空間や組織にはいたくない。と人生で初めて意識にちゃんとあげて、自分で自分の思いを認識しました。
何が嫌なのかをちゃんと考えて意識にあげて認識する。
を言語化できるほどちゃんとやったことが初めてでした。(でもこれは、自分でやろうと思ったわけじゃなくて自分が癒されてきて無意識にやったんだと思います。)
それで別に塾探しのときに人に良い影響を与えてくれるメンターがいる塾がいい!
と思って探したわけじゃないんです。
そこは何も考えてなかったんだけど
人に良い影響を与えない人と同じ空間にはいたくない、そういう自分はもう辞める、と心に決めただけです。
そうやって、今までよく考えたり見たりしようとしないで流れに身を任せていた現実を
ちゃんと見て、意識にあげて認識してその状況を許している自分をもう辞めようと決める。
意識の世界の達人さんたちが、決めるだけ!って言っているのはそういう意味なのかも
そして結局
人に良い影響を与えてくれる人に出会えて、心が震えて、その人がそこに存在してくれているだけで勇気が出るような存在が存在するんだと親子で感動を貰って
振り返ると
意地悪な先生にあったから、意識にあげることができなかった思いをそれは嫌だと思えて、反対側の願いを無意識に願うことが出来たのかも。
そうなってくると、意地悪な先生に出会ったことも意味があって、感謝したくなってしまう。
そうすると、起こる出来事は全部意味があって、感謝の対象になってしまって、ネガティブもポジティブも両方必要なんだということが腑に落ちてしまう
びっくりだよね