インドの聖女アンマに再び抱擁されてみた。その3〜アンマにハグされて、ちょっと違うな、と思った話 | 霊視鑑定ブログ〜人生を愛と幸せに満たすために

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音楽隊の聖歌が会場を包んでいます。

アンマの抱擁を列を待っていると、

ボランティアの女性に声をかけられました。

「初アンマですか?」

初アンマって……。

「数年前に一回ハグをしてもらいました。今日で2アンマです」

謎の単位が誕生しました。


ボランティアの女性に、アンマとのやりとりを説明したら、

このようなことを仰いました。

「アンマって、日本語で話しかけてきますよね。こちらが返事をすると、

分かっちゃうみたい」

私はすぐに賛同できませんでした。

アンマは日本語を知りません。

心と心で会話している状況です。


相手の心の気持ちが伝わってくる場合があります。

私が職場の休み時間に小説とかブログの記事を書いていると、

(これくらい仕事も頑張ればいいのに)

と、職場の人の声が聞こえたりします。


ちょっと気になる女性がいて、心を読むと、

(良い人だけど、髪型が変)

と心の声が聞こえる状況もありました。

「僕の髪型は変ですか?」

と聞いたら、「思っていませんよ〜」と慌てていました。


私の場合、相手の気持ちが胸に入ってくる感じです。

言葉が、その人の声色で浮かんできます。

他の人たちが心を読むときは、どんな感じか知りませんが。


聖書でも、元々言葉は一つでした。

神の怒りに触れ、神に逆らわないように言語はバラバラになった、とあります。

本当に神様が怒ったかどうかは知りませんが。


心と心での会話。それこそ「一つの言語」です。


別にムキになって

ボランティアの女性と口げんかをするわけにもいかないので、

「お忙しいところ、お呼び止めて、すみません」と話を打ち切りました。

向こうが話しかけてきたんですけどね。


アンマの抱擁を待ちます。

行列を待っていると、花が売られています。

「アンマに花を渡しませんか?」

私は花を一つ買い、待ちます。

前回は、寄付をしたのですが、このとき持ち合わせがなく寄付をしていませんでした

(去年は景気が良く、今年はそうでもなかったのが真相です)。


壇上にあがります。

壇上でも、また参加者さんたちが列をなしています。

順次、アンマに抱擁されています。

私にはインドの言葉が分かりませんが、

アンマが周囲の人たちに話しかけています。

「この子はこういう子で、こういう悩みを抱えていて……」

と、お話しされているのだと分かりました。

参加者さんには話しかけている様子は見えません。

周囲の人たちとの会話を終えると、ただ笑顔で抱擁しているだけ。


会社帰り風の若い男性が、ハグを終え、涙を浮かべながら降りていきます。

エネルギーが循環されています。

悪いエネルギーが出て行き、空っぽになった状態です。

これまで悪いエネルギーにさらされていた人は、まず空っぽにしなくてはいけません。

この方には、善良なエネルギーがやってくるでしょう。


私の順番になります。

花を渡し、ハグをさせていただきます。

声が聞こえます。

「ドウシマスカ? ドウシマスカ?」

前回と同じ質問です。

聞こえてくる声は、少し電波の悪いラジオみたいな響きです。

金縛り状態になって、抜け出せない……前回の反省を踏まえ、私は即答しました。

「私は神の声を聞きます」

咄嗟にそんな言葉が出ました。


「ドウシマスカ? ドウシマスカ?」

アンマの質問は変わりません。


「神の子として生きます」

アンマの声は終わり、抱擁から解放されました。

いや、開放?


川の流れを変わった気がしました。

河川工事的な感じです。

他のメンバーは帰ってしまい、ミワさんがいたので、途中まで一緒に帰りました。

「アンマに、なんて言われた?」

と聞いたら、

「ドウシマスカ? ドウシマスカ? って声が聞こえた」

とのこと。

「なんだ、みんなに同じこと言っているんだ……」

そのときは、ズッコケました。


話はそれますが。

神様の言葉を身体から受けるミワさんが、アンマの声が聞こえました。

視覚的に情報を得るイリエさんは「何も聞こえなかった」とのことです。

次、ハグされる機会があったら、目を閉じて霊視してみて、とお願いすれば良かったですね。


さて、この「ドウシマスカ? ドウシマスカ?」ですが。

日本人に一番足りない疑問だと思います。


これは私も反省すべき点なのですが、

危機的状況なのに、意志決定を先送りにしている。

どうしたいのか? 決めなくてはいけないのに、

「どうすればいいんですか?」と誰かに頼ってしまいます。


この国には、「どうすればいいんですか?」が蔓延しています。


何が正解ですか?

この世界に正解なんてものは、ありません。

正解、というより、お父さんやお母さん、学校の先生、友達に怒られないような選択に近いです。

そのための「どうすればいいんですか?」なのでしょうが。


「どうすればいいんですか?」と聞くのは、いったん、脇に置きましょう。


「どうしたいんですか?」と自問すべきです。


いや、アンマの「ドウシマスカ?」は、若干「どうしたいんですか?」とニュアンスが違います。


「どうしたいんですか?」は、本人の希望が含まれています。

自分勝手な希望も、見え隠れしている感じです。


ですが、「ドウシマスカ?」は、かなりフラットです。


よく夢を見ましょう、叶えましょう、といいますが、

たいていの夢は叶いません。


なぜ願いが叶わないのかというと、夢の内容が自分勝手すぎるからです。

聞いていると、応援する気が失せます。


たとえば、私の夢は三億円手に入れることで、女優と結婚することです。

といっても、皆さんにとって関係ないですよね?


結婚したいです。

復縁したいです。

誰それと不倫したいです。

転職したいです。

天職に就きたいです。


……それには、どうすればいいんですか?


夢じゃなくて、ただの欲です。

アナタの欲を応援する人なんて、この世界において、誰もいません。


そんなしょうもない「夢」は叶いません。

ヒリヒリしている、アワアワしている感じがします。


セブ島に渡った日本の若者がいます。




セブ島のバジャウ族を救いたい!

バジャウ族に仕事が回れば、

子どもたちは物乞いをせずにすみ、

バジャウ族の悪いイメージが払拭される……。


これこそ「夢」です。

応援したくなります。


日本のサムライは、とても自然体です。

欲も何もありません。

ヒリヒリもアワアワもしていません。


フラットです。


自然体で、本来の自分にある状態で

「ドウシマスカ?」と質問されたとします。

その問いに対して、自然と出た言葉が、その人にとっての真実なのではないか、と思います。


「ドウシマスカ?」

アンマはたった一言で、人生の方向性を変えようとされています。

流れ出る力は同じだけど、流れでる方向性を、

その人自身と、その人を取り囲む世界にとって良いものに変えようとしています。


「そのための抱擁なんだ!」と、私は一人帰り道で気づきました。


私にも流れを変えることができるのでしょうか?

流れを変える方法は?


世界の構造を変えたい。

ずるい人のせいで善良な人が生きづらく、ずるい人が我がもの顔にしている世界を変えたい。


不安と恐怖だらけの世界から、目を逸らすために誰かと結婚しようとする人がいます。

でも、それは、自分の内部からも目を背けていることを意味します。

内部を見れば、心に花を添えられる。

最初はたったの一本かもしれないけれど。

心に花で埋め尽くし、その状態で世界を見れば、世界は花だらけになる。

もちろん、花が空気発生するわけでもありませんが。

恐怖や不安、怒りに満ちた世界が、安心と優しさに入れ替わるとしたら、それは奇跡です。

水をワインに変えたり、手からパンを出したり、そんなの無理です。奇跡、というより奇術です。

ですが、水のワイン化よりも、世界の構造を変えることの方が、そんなに難しいとは思えません。

善良であろうと、ずるい人であろうと、自分の心をのぞき込めばいいのですから。

世界中の皆が自分の心を鏡のように見たとき、世界に反転作用が働くことでしょう。


ゴールは見えてきました。

では、そのための具体的なスタートは、なんなのでしょうか?


問いに返ってくる答えもなく、私は帰宅していました。


「まず、なにをすればいいのだろう……?」

私は独り言をつぶやいて、ウォシュレットの壊れた、冷たい便座に腰をつけました。


おしまい