「ある言葉にまつわる感覚が不快なら、心地よく書き直してみる」 | 人が持つコミュニケーションの力を磨く・鍛える・呼び覚ますーコミュニケーション・ワークス公式ブログー

 

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「わがまま」

と思われるのが苦手だなあ、と

この数日であらためて氣づきました。

 

 

「わがままを言うな」。

 

 

と言われたとたんに、全身がキュっ…と固まって、体温が2度くらい下がってしまうような。

まるで

「この世にいるな(存在する価値なし!)」

 

と宣告でもされたかのような。

胃を、中からぎゅっと掴まれたような何とも言えない感覚をあらためて

思い出していました。

(わたしの場合、そんな感じで)

 

 

 

 

 

 

大人になった今、

この言葉をかけられることがあるかというと、100%ないんですが、

でも、他から言われない代わりに、自分で存分に自分自身に投げつけ、

自分の自由自在な感情と行動を十分に妨げているな(笑)、と。

そんなことを、あらためて考えていました。

 

 

 

 

 

ある年頃までは、

そんなふうに、つまり「我慢をしている」、ということすら

わかっていなかったわけですが、

(肩が凝りすぎて感覚が麻痺してしまった人が

『ぜんっぜん凝ってないですけど?』というのに似て)

 

我慢が多かった分、

今は「その感情を外に出し、昇華させる」時期なんでしょう。

それこそ、口に出すのも恥ずかしいような

「お子様と同じレベル」のことでも、「我慢」がききません。

我慢をしてしまうと、そのあとの「処理」が大変です。

もう、自分の中の「子ども」が、怒る怒る…!

大騒ぎします。

例えば、あのケーキを食べたかった、と

そんなレベルのことで。

 

 

ケーキそのもののあるなしでなく、

つまり

「自分の氣持ちを一番に大切にしてくれなかった!」

ということに自分の中の小さな自分が怒っているわけですが。

 

 

もちろん、大人なので、その大騒ぎを外に出すことはしません。

いろんな方法でもって、昇華させます。

 

 

 

 

 

 

一番いいのは、

 

「それ、欲しい!」

「わたしはこれが好き!」

「わたしが一番!」

「わたしにもちょうだい!」

 

この、簡単な感情を、即、言葉に出来ることなんですが。

即、手をいっぱいに伸ばせることなんですが。

これが、なかなかわたしにとっては至難の業で、

 

なので、

もうトレーニング、です。

練習。

練習。

 

 

 

 

 

 

 

そんな中で、

「わがまま」という言葉がいかに、自分の身体と心をフリーズさせるか、

ということをあらためて思いだし、確認したわけでした。

わがまま=人間失格の意

くらいに反応していたな、と。

 

 

 

 

 

 

 

で。

この言葉を自分の身体に

新しい感覚で「アンカリングしなおす」ことにしました。

(プログラミングしなおす、と言ってもいいでしょうか)

 

 

「わがままっ!」

と、続けて言ってしまうからいけないのです。

これは昔からの慣れ親しんだ使い方。

そして、声・語感・響き・呼吸・身体感覚と感情は連動しています。

なので、

 

 

「我が、儘」。

 

 

とゆっくりと、言ってみることにしました(笑)。

心の中でも同様です。

イントネーションも変えて。

 

 

 

 

「我が、儘」。

 

 

 

 

戦国武将のように、背筋を伸ばし、呼吸をととのえ、重心をハラに落として、

言います。

我が、の後では必ず深い呼吸を一つ。

 

 

 

「我が、儘…」。

(無心&空(くう)。獅子脅しの音、かっぽ~ん)

 

 

 

 

なかなかいい感覚。

 


 

 

「我が、儘(に行かん…)」

(青空にはたはたとはためく無数の幟ばた…)

 

 

 

 

 

「我が、儘(に生きん…)」

(青空に弧を描くトンビの『ピーロロ…』。

静かによこたわる櫻島。

きらきら光る波。

ああ、なんて空が高いんだ。

なんて風が爽やかなんだ)

 

 

 

 

 

 

深呼吸。

とても心地よい。

 

 

 

 

 

はい。

これを一日数回。

何か、重要な決断をする前にも。

自分の感情を後回しにして、

あせあせと「人に合わせよう」がつい発動してしまっているのに

氣づいたときにも。

 

 

あとは、

繰り返しあるのみ。

わたしの細胞ひとつに、この新しい感覚がしっかりと刻み込まれるまで。

 

 

 

 

 

 

 

「わがまま」=わたしのままに。

今日からこの言葉は、

わたしにとって、高らかな宣言の言葉です。

自分の人生を自由自在、思うが儘に生きるという祝福の音。

そして

この言葉とともに、いつも身体の中に沸き起こるのは、

 

平安。

自然。

安らぎ。

落ち着き。

確信。

そして

自分自身の深いところとつながる感覚。

 

 

 

 

 

 

と。

今回は「特定の言葉」にくっついた自分自身の「意味の解釈」

&身体の感覚を

「人生を後押しするもの」に書き換えてみましたが、

この「書き換え」はさまざまなものに使えます。

特定の場面。

記憶、などなど…。

 

 

人生が変わる、

というのは、

大きな体験もありつつ、

案外こういう小さな積み重ねでもあるんだろうな、

としみじみ思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

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【ワークショップ】

 

●11月11日開催

「自分の人生を自由自在に生きるためのシンプルなアイテムを手に入れるワークショップ」

 

毎日、ご飯を食べるように繰り返せるシンプルな方法を身体に刻む、落とし込む、

がテーマです。

 

◎心と身体はしっかりとつながっている
  →身体感覚を制する者は感情も制する

◎「自分の箱の中」からいつでも出られる力
  →客観的な視点に切り替えられる方法を身体に刻み込む

◎感情はどうにもならない。感情はわいてくるものだ×
  →感情は自分で選べる。感情は変えられる○

◎自分の中の様々な自分
  →「チーム自分」の団結力が人生をスムーズに動かす

 

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●11月26日開催「聲を変えることは人生を変えること―聲のワークショップ*ミニ」

 

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【個人セッション】

 

●「そろそろ自分の聲と言葉で世界に向けて語りだそう