最近のドラマに『テセウスの船』がありましたよね。
私は最終話だけ見ましたが、割と話の構造が見えて楽しんで見ることができました。

ドラマ『テセウスの船』の元は、ギリシャ神話の『テセウスの船』から来ています。
ギリシャ神話『テセウスの船』はこういう話です。昔、アテナイという国があり、その国の英雄テセウスがクレタ島の怪物ミノタウロスを退治して船で帰還します。その船を後世に残そうとして保存しようとするのですが、昔の船のためどんどん劣化していってしまいます。船を修理していく中、素材が全部新しいものに入れ替わってしまった。そこで出てきた疑問が、「形は同じだけど、素材が全部変わってしまったこの船を『テセウスの船』と呼んでいいのか?」です。

ドラマ『テセウスの船」でも、未来から過去に来た話で、未来と過去の家族の中身が少し異なってるわけです。これを同じ家族と言えるのか、みたいな問題提起をしています。

こういう話って、ほかにもありますよね。
私はの広島に住んでいます。広島といえばですね広島カープです。地元の人はみんな応援しています。私はカープのファンではないんですが、もし、カープの選手が全部トレードして全部入れ替わったら、それはカープと言えるのか。ちょっと疑問に思います。

この問いは、私は哲学的だと思っています。
これから来る未来は医療技術が発展し、人工的な臓器が作れるようになるでしょう。もし、体の臓器をほぼ入れ替えたら、それは自分と言えるのか、人間と言えるのか、みたいな問題が生じるはずです。

そこで『テセウスの船』の問いへの答えを持っていたほうがいいかなと思うわけです。私自身、自分なりの答えはあります。おそらく、ドラマ『テセウスの船』を書いた人と同じ答えなんじゃないかと思っています。なぜそう思ったのかと言うと、主人公の名前です。名前に、答えを込めているんじゃないかなと私は思いました。

今回は以上です。



 

 

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