2012年03月21日(水)

我が子の向こうに

テーマ:家庭/家族

まだもの言えぬ息子が、僕に大切なことを教えてくれている。
・・・いや、頑固で鈍い僕は理解が遅いから、
正直、「教えてくれている」とまでは行かない。
でも、気づかせてくれている。とは思う。


別に、息子自身は、
僕に何か教えようとしたり、気づかせようとしているわけではないのだろう。
彼は、ただ彼なりに、愉しんだり悔しがったりしつつ、
世界を経験し、世界を学んでいる。
ただ、それだけなのだと思う。




しかし、息子は、息子自身の意志で生まれてきたのではない。(と、僕は思っている。)
ある意味では、両親(つまり僕と妻)の意志の結果、生まれてきた、
と言えるだろう。
しかし、その両親もまた、自分自身の意志で生まれてきたのではない。
息子が生まれるきっかけこそ作ったものの、
人間がどのようにして生まれ、さらには意志を持つようになるのか、
少なくとも僕にはサッパリわからない。


それでも、息子は生まれてきた。
このことをとりあえず言葉で表現しようとするなら、
「自然界の大きな力が生命に宿っている」
としか、今の僕には言いようがない。
僕自身にも、息子にも、その力が分け与えられている。
だから僕も生まれてきたし、僕は息子が生まれるきっかけを作ることができ、
息子も生まれてきた。
自然の力を借りながら、僕も息子も生きている。




その息子も、まだ言葉は話せない。
それでも懸命に何かを訴え、何かに注目し、何かを感じて生きている。
僕は、息子を通して、自然界の在りように直に触れる思いがする。
これは錯覚なのかもしれないが、
少なくとも、言葉上で繋がっている相手よりは、
息子のほうが、自然界の真髄に近い在りかたをしているような気がする。


真剣な眼差しで何かを訴えられた時、
適当な言葉で濁すことが、僕にはできない。
けれども、空気の読めない僕は、
何を言われているのか理解できない。
・・・こうして息子の不満は爆発する。僕は狼狽し、時々落ち込む。
でも、次の時には、
息子は諦めもせずに何かを訴えてくる。


自然界の力強さを感じる。
変だろうか。

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2012年02月09日(木)

親子関係

テーマ:家庭/家族

子が親に望んでいること。
それは、
自力ではできないことをしてもらうことと、
自力でできそうなことをする時に邪魔をしないこと。


手の届かない場所にある物は、取って欲しい。
抱っこも自力ではできないから、して欲しい。
でも、
もう少しでできそうなことをしている時には、
我慢して見守っていて欲しい。
見守ってもらうことは自力ではできないから、して欲しい。
・・・こんな感じか。




もう一つ補足。


親は、神ではない。
子に悲しい思い、悔しい思いをさせてしまう時もある。
人間である親子関係にとって、
それは避けては通れない道なのだと思う。


ただし、子は言い返せない。
子は、親の枠組みの中で生まれて来ざるを得ないのだから、
親に対抗しようとしても、どうしても分が悪いのだ。
・・・ということを、
親は理解しておく必要がある、と思う。

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2011年12月13日(火)

家族の条件

テーマ:家庭/家族

家族の条件は、
一緒にいたいかどうか。
ただ、それだけだ。


すれ違い、疑い、仲違いする時もあるでしょう。
それでも、やっぱり一緒にいたい。
それが家族の条件。




もちろん、十分条件ではない。
家族のかたち、家族の在り方は、人の数だけあるに違いない。
しかし、どのような家族であっても、
それが家族であると言えるためには、
「一緒にいたい」という気持ちがなくてはならない。


一緒にいたい、ということが、
家族であることの唯一の必要条件なのだ。

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2011年09月18日(日)

僕は父親

テーマ:家庭/家族

こんな僕でも、父親だと思ってくれているらしい。


自己管理もまともにできず、
体調に波があり、浮き沈みもそこそこ激しく、
家族は、僕に振り回されてしまっている。
そんな僕を、夫と思ってくれる。
父親だと思ってくれている。


「父親」という概念は、まだないだろうけど、
人見知りがある中で、僕の顔を見ると嬉しそうに近づいてきてくれる。
でも、僕は、
余裕がなくて相手になれない時がある。


これで、いいのだろうか。
でも僕は、僕にしかなれない。
他の人が僕になることもできない。
僕が、父親なのだ。




ありがとう。僕は幸せです。
これからも、宜しくお願いします。

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2010年09月15日(水)

期待

テーマ:家庭/家族

僕は、自分の子に対して、一方的な期待はしないつもりだ。


基本的には生きているだけで充分。それしかない。
・・・欲を言えば、
将来的にも生きていけるだけの力(と言っても広い意味での力)を身につけていって欲しい
と、思わないわけではない。
しかし、「それも余計なお世話だ」とも思う。


生き方は、人それぞれ。
生きる力も、人それぞれ。
最終的には、自分で身につけていくしかないものだ。
親が子にしてやれるのは、せいぜい「親の生き方」という参考資料を提示することくらいしかない。




でも。


「ただ生きていればいい」と言って、他に何も期待しないわけではない。
生きること以外に何も期待してもらえない、
というのも、時には哀しいものだ。
どんなに小さなことであっても、親に期待して欲しい時もある。


だから僕は、本人が自分自身に期待していることなら、一緒になって期待したい。
目標を達成できなければ、一緒に悔しがる。
期待通りの結果が出たら、一緒に喜ぶ。


・・・もちろん、それができるためには、
自分の子が何を期待しているのか、少しでも多く、早めに気づく必要がある。




一方的な期待はしないけど、
本人の期待には、いち早く気づけるようでありたい。

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2010年08月29日(日)

訳も分からず生まれた世界で

テーマ:家庭/家族

生後1か月を過ぎた、我が子を見て思う。


泣くのは、
「おなかがすいた」
「おしっこした」
「うんこした」時のどれか。
最近、それに
「だっこしてほしい」が加わった。


でも、それは親の側が勝手にそう判断しているだけであって、
それ以外の微妙な感覚も、(伝えることができないだけで)あるのではないか。
泣く我が子や、泣き止んだ我が子を見て、時々そう思う。


伝える言葉を持つ僕にも、
言葉にできず、うまく伝えられないことが山ほどある。
ましてや我が子は、
訳も分からず生まれたばかりの、初めて経験する世界の中で、
伝える言葉も持たず、
きっと、誰に向かって何を伝えたらいいのかもわからないだろう。


中途半端に分かるからこそ、主張や欲求も生まれてくる。
伝えられそうなのに伝わらない時、ストレスを感じる。
しかし、そもそも何をどのように伝えたらいいかもわからなければ、
ストレスも何もない。


すやすやと眠っているように見える我が子の脳も、
「これは何なんだ?」
と、見えない所で目まぐるしく働き探っているのだろう。




大変なことも多いけど、そればかりじゃないよ。
僕が知ってることは、まだ僅かだけど、
それでも世界は悪いことばかりじゃないと思う。
一緒に見つけていこうな。生きる意味とか、この世界との関わり方とか。


そんなことよりも、
くだらないことで笑えるってことが、けっこう重要だと思う。
馬鹿馬鹿しいこと、くだらないこと、たくさんしようね。

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2010年07月25日(日)

ようこそ世界へ

テーマ:家庭/家族

昨日(7月24日)の午後4時過ぎ、
妻のおなかから、二人の息子が出てきました。


出産がこんなに苦しいものだとは、知らなかった。
聞かされてもいたし、テレビのドキュメンタリー番組などで見たこともあったけど、
ただ頭で認識していただけで、僕は何も知らなかった。
今も本当にはわかってない。
本当に経験して知っているのは、妻と息子であって、
僕はその様子を外側から見守っただけに過ぎない。
しかし、その程度ですら僕はわかっていなかった。


「力を入れたらだめだよ」
「息を吐いて痛みを逃がさないと、赤ちゃんも苦しいよ」
僕が病院に呼ばれたおととい午前4時から出産直前まで、
妻は、入れ替わる看護婦さんたちから注意され続けた。
痛いとどうしても力が入ってしまうらしかった。
一緒に苦しんでいるであろう赤ちゃんに謝りながら、
3日間も睡眠が取れず憔悴した頭で、
「痛くても力を入れない」という矛盾した努力を続けさせられた。
普段、弱音を吐かない(むしろ弱音を吐くこと自体を嫌う)妻が、
「どうしたらいいのかわからない」
「もう終わりたい」
と、痛みに痙攣しながら、出ない声で時々つぶやいていた。


「この痛みをバトンタッチしたい」
とも言われた。
もしバトンタッチできたとしても、(比べるまでもなく)僕のほうがすぐに音を上げてしまうのだろうけど、
僕も妻もこの子の親であることに変わりはないのに、
僕には少しの苦しみもなく、妻だけが耐え難い激痛と長時間闘わされているのは、どうしても理不尽だった。


人間って、生命って、自然界って、うまく出来ているはずじゃないのか?
その中でも出産は、生命の根底に関わる重要な営みのはず。
こんな理不尽に苦しまなくても済むように、
体のつくりとか内臓や骨の配置とか、もう少しやりようがなかったのかと、
(・・・と、誰に訴えたらいいのかわからないけど。遺伝子か?)疑問に思えて仕方がなかった。
妻の父親は、
「人間は子供をたくさん生む生き物じゃないから、その痛みがあるからこそ子供を大事にするんじゃないだろうか」
と言っていた。
広い目で見れば、確かにその説明は的を射ている気がした。




生んでもらったことには、感謝しなければいけない。
そう、つくづく思った。
自分が生まれてきた世界は、自分が選んだわけではないし、「自分を生んでくれ」と親に頼んだわけではない。
世界が苦しくて、「生まれてこなければ、こんなこともなかったのに」と思ったこともあるし、
その気持ちを母親にぶつけてしまったこともある。
でも、生んでもらったことに感謝する意味を、僕は履き違えていた。


生まれてきたこの世界が良いものだから、生んでくれた親に感謝する。
そういう感謝ももちろんあってもいいが、それは副次的なものであって、
そもそも、こんな思いをしながら生んでくれたのだ、
ということに、まず感謝しなければいけなかった。
知らなかったのだから仕方ないけど、28歳になってようやく気づいた。
出産に立ち会って良かったと思う。
良かった、というか、僕はこのことをちゃんと知らなければいけなかった。
そして、間接的にだけれども知ることができた。


出産までの2日間、僕は一緒にいてあげることしかできなかった(それができただけでも良かったけど)。
どうしていいのかわからないし、妻がさすって欲しい場所も間違えるし、
明らかに一番苦しんでいて寝ることもできない本人を前にして、ウトウトしてしまったり、
挙句の果てに、「疲れてるのにごめんね」と妻に気遣われてしまって。
今後、この2日間のことを言われたら僕は何も言い返せない、と思った。
「最近の日本は、父親の威厳がなくなっている」
なんて言うけど、
少なくとも親子関係では、母親のほうが偉くて強くて当たり前だよ。


もし、息子が成長して、僕に似て、
「生んでくれなんて頼んでない」
と妻に言ったら、僕は叱るかもしれない。
かつて僕自身もそう言ったこともある、ということもちゃんと伝えなければならないが、
そんなことを言われた妻の気持ちを思うと、
僕は、親としてよりも一人の人間として、叱る以外に選択肢がない気がする。
だから僕は、母親に謝らなければいけない。




今度、ちゃんと謝ってお礼を伝えよう。
妻の出産を見てから気づいて言うなんて、順序的にひどく間違っている気もするけど、
今まで本当に気づかなかったんだし、本当にごめんなさい。


妻の親が言うには、
人生にはこれからもいろいろあるけど、今回のことは大きさとしては「中」くらいだ
と言っていた(「上」の「中」だったかもしれない)。
そう、もっと大変なことがあるのだろう。
知識としては知っていても全然わかっていなかったようなこともある。
僕は今もそのことを知らなくて、たまたま出産に立ち会っただけでそれがすべてのようにこうやって書いているのかもしれない。


昨日から僕も父親。
なんか、「父親」という言葉は、まだ自分にそぐわない感じがするけど、
僕は、かつて自分がそうしてもらったように、
息子をこの世界に迎え入れてやらなければいけない。




これからも頑張ります。
どうかこれからも、皆様のお力をお貸しください。

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2010年06月11日(金)

50歳の誕生日

テーマ:家庭/家族

先日、妻の母親が50歳の誕生日を迎えた。
ちょうどその日は平日だったため、
直前の週末に、妻の実家でハッピーバースデー会をした。




準備のため皆で飾りつけをしていた時、
妻が、座席カードを作り始めた。


僕の座席カードには、メガネの絵。
妻の父親の座席カードには、ヒゲの絵。等々。


最後に、妻の母親の座席カードをどうするか悩んでいた。
当然、本人をよく表す“絵”をそこに描くのだろうと思っていたが、
妻が書いたのは、
「半世紀オヴァンゲリオン」
だった。




久しぶりに、何度も思い出し笑いさせられた。
真面目に考えれば、ひどい言いようだ。
しかし、響きというか、表現が何とも味わい深い。


50歳の誕生日に「半世紀オヴァンゲリオン」なんて、
無駄に巧すぎる。
しかも、自分の母親くらいでなければ、こんなひどいことは言えない。


時々、妻にはこういう“神”が降臨する。

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2010年02月01日(月)

結婚とは

テーマ:家庭/家族

結婚とは、
一人称の基本的な意味合いが、単数形から複数形に変わることだ。


結婚する前の「自分」は、ただ一人の「自分」でしかなかった。
もっとも、「自分たち」という表現があったことは確か。
しかし、それは、もともと一人である「自分」の延長に過ぎなかった。


結婚してからの「自分」は、ただ一人の「自分」という意味では無くなった。
ただ一人の「自分」のためだけの体では無くなり、
ただ一人の「自分」のためだけの心では無くなった。
・・・そう自分で思い込んでいるだけかもしれないが、
少なくとも意識の上では、それが、「自分」という言葉の意味についての実感なのだ。




転じて、結婚生活とは、
一人称が複数形であるような生活のことだ。


・・・どちらかというと、こちらのほうが実感に沿っていてわかりやすい。
独身生活における一人称は、単数形。
結婚生活における一人称は、複数形。
改めて説明するまでもない。


人生における生活単位が、ただ一人の「自分」から、「自分たち」へと変わること。
それが、結婚ではないかと思う。




この変化は、文章ではなかなか伝えづらいが、かなり劇的だ。


例えば、自分がアメーバみたいに分裂したような気分。
分裂した相手も、もともとの自分も、どちらも「自分」といった心境。


でも、実際の結婚では、相手が自分から分裂して出てきたわけではない。
強いて言えば、
もともと他人だった相手に対して、「自分から分裂した相手の『自分』度」と同じくらい強く「自分」を感じる、
ということ。




妻が見たら、
「私は分裂したアメーバにされた」
と怒るかもしれないけど、今は、他に良い喩えが見つからない。


決して、妻を自分の分身だと思っているわけではなくて、
分裂したアメーバと同じくらいの“濃度”で、妻を自分だと思うような感覚が実感としてある、ということ。
弁解になってないか。
でも、分身は、やっぱり「自分」の分身であって、「自分」ではないからね。


だから、他に良い喩えが見つからない。

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