1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2014年08月24日(日)

中間報告

テーマ:自己紹介

2014年は、変化の年だ。間違いない。
今年の初め、「僕だけがわかる行動 の年にしよう」と目標を立てていたが、
自分で思っていた以上に、自分よりも、周りの世界が動き始めた。


このブログも様変わりした。
スマートフォンからも投稿するようになったのは、今年の2月。(→『夜中に目が覚めてしまった記念に、』
そして4月には、周囲の変化のあまりの激しさに、
思わず、「本当に、今年は変化が激しい 」とぼやいていた。


しかし、時々体調を崩しながらも、今年は、去年までとは違っていた。
粘り強く、時には割り切りながら、しぶとく乗り切ってきた。
・・・そしてこの夏、
僕は、世界と一体になるべく、
この世界にダイブ することを決意した。




決意したその日、僕は再び体調を崩してしまった。
・・・が、もう今までの僕とは違っていた。
その翌日、僕は、僕・ルネサンス を自分の心に宣言した。


世界と一体であること を知り尽くした時、
僕は、僕の課題をクリアする。
残り4か月。これから、さらに加速していく。


僕の武器は、
成長の遅さと、自分への凝視、 そして言語化する能力だ。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
同じテーマ 「自己紹介」 の記事
2014年08月08日(金)

ダイブ

テーマ:自己紹介

「そうか」
と、僕はようやく、重い腰を上げることにした。




元来、僕はフットワークが軽いほうではない。
今も昔も、やることを増やすのが嫌いだ。
関心のある一つのことに、ずっと集中する。
そういう時間の使い方が好きだった。


今、こうして書いているブログだって、その一つだ。
書いている時は、ほかのことは忘れて書くことだけに集中してしまう。
それで、家族にも呆れられてしまう時もある。
あまりにも集中しすぎて、完全に時間を忘れてしまうからだ。


好きなことは得意なつもりだし、それをすることには何の抵抗もない。
でも、新たなことへのチャレンジや、
得意でない領域、気になるけれどもよく知らないことへの第一歩
には、なかなか踏み出せない。
躊躇し、見ないふりをして後回しにする。


・・・そう、失敗することが怖いのだ。




失敗が自分を成長させることは、よく知っているつもりだ。
そういう内容の記事を書いたこともあるくらいだから。
でも、それとこれとは別だった。
怖いものは怖い。


怖いのだ。
「だけど」、一歩踏み出してみたっていいんじゃないか。
変に気を張る必要はない。
失敗してもいいつもりで、ただ、やってみればいいんじゃないか。


・・・ここ数日、僕の周囲の世界が、頻繁にそう語りかけてくるようになった。




「そうか」
と、僕はようやく、重い腰を上げることにした。
この世界に委ねてみるか。


どうせなら、世界と一体になったほうが楽しい。
この際、世界の中にダイブしてみよう。
それでどうなるかは、僕は知らない。
でも、たぶん、そうするしかないのだ。
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2014年08月03日(日)

僕の心の主成分

テーマ:自己紹介

僕という人間は、
今まで自分で思っていた以上に、ある部分では気性が荒いのかもしれない。
僕の気性が荒い部分とは、つまり「ぶつかり合いたい」ということ。


自己完結することに抵抗を感じる し、
きれいに、軽やかにすれ違ってしまうような優しさなら要らない 、と思う。
誰かの話を見聞きしていても、
独り善がりの自己満足に見えてしまうと、 ウンザリしてしまう。


・・・そのくせ、他人の目は気になる
納得する自分と、理解する他人 の間で揺れ動いている。
「一人では生きていけない」ということがわかっているからだ。




本当は、自分を信じ、乗りかかった船に乗っていく しかない。
でも、僕の性格上、それを淡々とこなすことができない。


そのジレンマの中で、悶々とする自分の気持ちを整理して落ち着かせるために、
僕が採っている方法。それが「書くこと」
基本的に、書くことが好き なのだ。




それともう一つ、僕自身を語るのにどうしても外せないことがある。
「死が怖い」ということ。
僕にとって、死と喪失 は途方もなく怖い。
しかし、そこから目を逸らすこともできない。
だから僕は、死について書くことにした
わからないまま終わる、そんなのはイヤだ
から。


僕は、僕の生と今を知りたい。
極端な話、100年前の真実には興味がない。

AD
いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)
2014年06月01日(日)

先が読めない世界

テーマ:自己紹介

私たちは、先が読めない世界を生きている。
と、僕は思う。




・・・中には、「先が読める」と言う人たちもいる。
その人たちにも2通りいて、
「本当は先が読めないということをわかっていながら、あえて『先が読める』と言っている」人たちと、
「本当に先が読めると思い込んでいる」人たちがいる。


後者は、世界をわかっていない人たちだと思う。
前者は、世界をよくわかっている人たちだけれども、
「先が読める」と言い切る意図は、人それぞれだ。
ある人は、
「先が読める」と言うことによって誰かに影響力を及ぼし、自分の目先の利益を拡大しようとする。
別のある人は、
「先が読める」と言うことによって世界を動かし、自分の理想やビジョンを実現しようとする。


いずれにしても、
客観的な事実としてではなく、周囲に対する働きかけとして
「先が読める」と言い続けることは、生きる上で大切な知恵だと思う。




・・・でも、知りたがりの僕は、
「先が読める」と言うことの大切さは熱弁するけれども、
「先が読める」とは思わないし、言わない。
なぜなら、現に、先が読めない世界を生きているから。


その辺、僕は、「先が読める」と言う人たちよりも愚かなのかもしれない。




駆け込み乗車が、電車を遅らせる。
・・・でも、僕がそのことを明確に意識するようになったのは、
福知山線の脱線事故をニュースで知ってからのことだ。


情報が多すぎる。
そのことに気づいたのも、氾濫する情報に踊らされた経験があるからだ。


人間は、そもそも体質的に先が読めない。
だからこそ、一度、痛い思いをした後で、その経験則を元にして先を「読もう」とする。
「読み」が当たる時もあれば、外れる時もあるが、
その繰り返しによって、人は、世界像を更新していく。


経験不足による不安。
そこから、ルールへの依存が始まり、世界像の固定化が進む。
それを避けるには、自ら切り拓いていく覚悟と、少しの勇気が必要なのだけれども、
覚悟や勇気を持ったからといって、決して思い通りになるわけではない、
という現実がある。


その現実をどう見るか。
「決して思い通りにならない」と諦めた時、世界は動きを止める。
やはり、自ら世界を動かそうとして生きる生き方のほうが好ましい、と僕は思う。


先が読めない世界。だからこそ、一瞬、一瞬を大切にしていける。
だからこそ、時には不安に押しつぶされそうになっても、
僕に何ができる?
ということにも真剣になれるし、そんな世界を楽しんでいける。




せっかく生まれてきた命、与えられた時間です。
偶然、同じ時代を生き、同じ世界を共有することになった皆様と一緒に、
この世界を創っていけたら楽しいなあ・・・と、
たいした力もないくせに夢想しています。


僕は、そんなキモチワルイ奴ですが、
これからも限られた時間のなか、お付き合い頂ければ幸いです。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年02月08日(土)

死と喪失

テーマ:自己紹介

僕は、死が怖くてたまりません。


一番古い記憶では、僕が幼稚園児だった頃のある夜、
布団の中で、「死ぬのが怖い」と思って眠れなくなり、泣きながら起きて親に訴えたのを覚えています。
その時、父はテレビを観ていましたが、
「急に何を言い出すんだ?」という顔で、驚いて振り返っていました。


寝る前に、母に「うちゅうのはなし」みたいな本(アイザック・アシモフの本でした)を読んでもらっていて、
「この地球も、遠い未来には太陽に呑み込まれてしまう」
という話を聞かされ、そのイメージがすごく心細く感じられて怖かったのだと思います。
・・・真っ暗闇の、何もない宇宙の世界。
すべてはそこから生まれ、そこに還っていく。・・・そんなイメージです。


本格的に死が怖くなったのは、中学2年生の頃です。
「僕も、いつかは死んでしまうのだ」
と思うと怖くてたまらなくなり、
「記憶も何もかも失くしてしまうのだ」
と思うと、今、目の前に映る世界のすべてが色あせて見えました。
むなしくて堪らず、
「こんなことになるなら、『死が来る』なんて気づかないほうが良かった」
と、本気で自分を恨んだりもしました。




2005年に、『死が怖い理由』 という記事を書きました。
また昨年には、『続・死が怖い理由』 という記事も書きました。
僕にとって、死が怖い理由は、
その途方もない喪失感にあります。


死ぬ時と場所を自分で決められるのなら、別に怖くなんかありません。
自分では選べないタイミングで奪われてしまう可能性がある、
つまり、まだ死にたくないのに死んでしまう可能性がある、
ということが、怖ろしくて堪らないのです。


「終わる」ということへの恐怖が、僕の、死に対する恐怖の根っこにあるのかもしれません。
最近、僕は思うんです。
もともと、僕はネアカだったけれども、極端に打たれ弱かったのではないか、と。
ネアカゆえに、打たれ弱いくせに真正面から受け止めてしまい、
受け止めきれずにつぶれてしまったのではないか、と。




自分のブログを「喪失」で検索してみたら、
興味深い記事が(と自分で言うのは変ですが)たくさん出てきました。
以下、備忘録として、この記事からリンクしておこうと思います。


『生きることの意味』
死から見えてくる、生きることの意味についての記事です。

『死後』
「死後の世界がない」というのは僕の思い込みかもしれない、
ということについて、一応、述べたものです。

『喪失感の記憶』
レミオロメンの『雨上がり』で歌われている喪失感について述べています。

『失うことよりも怖いこと』
「失うことを怖れすぎて、現実を見失ってしまうこと」のほうが怖い、
と、エラそうに書いています。怖いものは怖いんですけどね。

『「始まり」は「終わり」』
始まりの数だけ終わりがある、と書いたものです。
そもそも人生には喪失感が付き物なのかもしれません。

『果てしない喪失』
DREAMS COME TRUEの『朝がまた来る』で歌われている、死別の悲しみについての記事です。

『「初心」の能力』
得るものがあれば、失うものもある。
そして「初心」の能力も、失われゆくものの一つではないか、と考えて書いた記事です。

『道具の役割』
いずれ死ぬ運命にある限り、目的だけを追い続けるような人生は、むなしい。
つまり道筋や過程が大切だ、と述べたものです。
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
2014年01月12日(日)

笑いが好き

テーマ:自己紹介

僕の性格で、一つ、大きな救いがあるとすれば、
それは「笑いが好き」なことだと、つくづく思う。


どんなに落ち込んでいても、
どんなに苦しくても、
何かの拍子に笑ってしまう時がある。
つい、くだらない話をしようとしてしまう時がある。


次の瞬間には、また暗い気持ちになるとしても、
一時的にでも気が晴れる。
それで多少、救われる。




ネガティブな割には、
笑うことも、笑わせることも、僕自身が好きなのだ。


・・・いや、こう書くと、ちょっと語弊があるかもしれない。
確かに笑わせようとすることは好きだが、
大抵、空気が凍りつくばかりで、
狙い通りに相手を笑わせられたことなど、実際ほとんどない。


一例を挙げるなら、
杖を指さして「強えー」と言ってみたり、
靴を履くときに「クツクツクツ」とつぶやいて笑うマネをしてみたり。
僕は空気が読めないらしく、
たまに、言うタイミングが悪くて相手に聞こえていない時があるようで、
そんな時には、もう一度、少し大きめの声で繰り返してみることにしている。
これでも一応、けっこう努力はしているつもり。


それなのに、
会社の上司からは、既に数年前から
「笑いを吸い取る男」
の異名を与えられている。
初めてその異名を授かった時には、
僕がおもしろすぎて笑いを集めてくる、くらいの意味に思っていたが、
よくよく話を聞いてみると、どうもそうではないらしい。
せっかく皆が笑っていたのに、僕が何か言うと、
その笑いを周囲から吸い取ってしまう、
ということらしいのだ。




大変申し訳ない話だ。
吸い取ってしまったのなら、その分は、きちんと皆様にお返ししなければならない。
そう思って、日々頑張っている。
日々、体中にヒビが入るくらい頑張っている。
・・・それでも、どうも駄目らしい。
相手の目を覗き込んで、辛抱強く繰り返し言っても、相手は笑わない。


このことからわかるのは、
「好きこそものの上手なれ」は必ずしも正しくない、ということだ。
非常に残念だけれども、
前向きに考えれば、それだけでもわかって良かった、と思う。


このことに気付けたのも、僕が「笑いが好き」だったお蔭なのだから・・・。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年01月03日(金)

書くことが好き

テーマ:自己紹介

書くことが好きだ。
それも、何かの目的のためではなく、ただ書くことそれ自体が。


振り返ってみたら、
2010年にも『書き物』 という自己紹介 の記事を書いていた。
その頃は、何か答えを見つけようとして書き物をしている
と、自分で思っていたらしい。


もちろん、何かを納得したい 気持ちがとても強いことは、今でも変わらない。
でも、その気持ちと書きたい気持ちとは、また別のものだ。
自分が納得できるかどうかに関わらず、とにかく「書き表す」ということが僕は好きなのだ。




書くことを優先して、自分が納得できることは二の次になっている、
・・・という場面だって、(たぶん)あったはず。
その二つは連動しているかのように思っていたけれども、
それは単に自分を自分で洗脳していただけだったのかもしれない。


納得できてもできなくても、書きたければ書けばいい。
・・・そういう方針があってもいい。
ようやく、そういう発想ができるようになってきた。


ただ、いくら好きな事でも多少のエネルギーは使うから、
最小限のエネルギーも確保できないような状況では、書くことさえもつらくなってしまう。
それが悩みどころ。
このバランスを取るのが、なかなか難しい。

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2012年05月28日(月)

わからないまま終わる、そんなのはイヤだ

テーマ:自己紹介

僕は、たぶん、気紛れな人間だ。


僕の知らない所で、想像を絶するような悲劇が起きていたとしても、
そのことを僕は知らないままだし、
そもそも知る由もないことだ。
・・・と言って、知ろうともしない。


目の前の、このわずかな空間と、
せいぜい数か月後までの見通しと、
しょっちゅう顔を合わせる相手との限られた人間関係。
それらに納得できていれば、
八割がた、僕は満足していられるのだ。
だから、
僕は、たぶん、気紛れな人間だ。




僕は、それでいいと思っている。


この短い人生の中で、
身近な世界の中で、
僕が、僕の存在価値を感じていられれば、
九割がた、僕は安穏として生きていける。
自己完結。
自分の世界に閉じこもった貝。
僕も、所詮はその一人。


・・・ただ、残り一割の不満がどうしても残る。
この世界は、いったい何なのか。
僕が生まれてきて死んでいく、というコレはどういうことなのか。
アンパンマンの歌詞じゃないけど、
「わからないまま終わる、そんなのはイヤだ」

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2012年05月11日(金)

共有欲

テーマ:自己紹介

意味を見出すのは、たのしい。
見出した意味を伝えるのも、おもしろい。
でも、
もともと意味があったり、意味を与えられたりするのは、つまらない。


きっと、ここにも
目には見えない弱肉強食の世界がある。
価値観と、価値観とのぶつかり合い。せめぎ合い。


自分が見出した意味を、自分の世界の基準にしたい。
貫きたい。通したい。誰にも侵されたくない。
・・・自然な気持ちでしょう。




人は、それぞれのやり方で、
自分なりの意味を築き上げ、それを守ろうとする。
僕も例外ではない。


まさに、上に書いたようなことを、僕が意味付けしているのだ。
「意味を見出すのは、たのしい。」
とか、
「見出した意味を伝えるのも、おもしろい。」
とか。
そうは思わない人だって、いるかもしれないのに。


つまり、(僕が書いている)この文章も、
決してフェアな立ち位置で書かれたものではない。
僕が、僕の価値観を正当化し、守ろうとする意図が少なからずあるのだ。




僕は、
「もともと意味があったり、意味を与えられたりするのは、つまらない。」
と思っている。
他の人がすべてそう思うわけではないのかもしれないけれども、
僕自身がそう思っている。
だから、そういうつまらない伝え方は、どうしてもしたくない。




たぶん、価値観の共有欲が強いのだろう。


「価値観の共有なんてできない」
と言う人もいる。
僕も、その考えは的を射ていると思う。


でも僕の場合、
「価値観の共有なんてできない」
と言いつつ、
「価値観の共有なんてできない」ということを共有しよう
と、密かに目論んでいるような所がある。

いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2012年02月28日(火)

人間関係の作り方

テーマ:自己紹介

僕の場合、
人間関係の作り方が、面ではなく点なのだと思う。




「組織」や「家族」といった集合体は、面で表せる。
その面の中にいる各個人は、点で表現できる。


ここで、人と人との繋がりを線で表すことにすると、
人間関係の作り方の基本形は、"二つの点を線で結ぶこと"となる。
また、
所属している団体や、血縁関係を通して人間関係を増やしていくような場合には、
"面の中の二点を結ぶ線"や、"二つの面の間を結ぶ線"を増やす、
ということになる。


上記のような人間関係の作り方を、面で作る人間関係と呼ぶことにすると、
僕の場合、
人間関係を面で作ることをほとんどしていない。
面とは無関係に、「これは」と思った人と個別に人間関係を形成している。




他人の人付き合いがどうなのか、よく知らないけれども、
顔が広い方ではないことは間違いない、と思う。
それでも、数少ないながらも、
非常に大切で、心強く、貴重な人間関係が、いくつもある。


だから、人間関係を面で増やしていこう、とは僕は思えないのだ。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。