2005年04月20日(水)

眠い!

テーマ:今日の「まこっちゃ」

最近、この時間になると眠くて仕方がない。
日付が変わる前にこんなに眠くなるなんて、久方ぶりだ。



今のところ、休むことなく大学に通えている。
今年の目標。それは、下に書くような優先順位をとりあえず守ること。
まず、出席する。
それができたなら、提出物を期日までに出す。
それもできたなら、予習・復習など、授業の内容に関わることをやる。
それらが全部済んでから、初めて自分の興味に力を注ぐ。


今までは、この優先順位がまるで逆だった。
でも、このままでは延々と単位がもらえないままだから、
今年は、社会的な優先順位を肝に銘じて臨むことにした。



そういう心境になったのは、この一年間の休学経験によるところが大きい。
必要なこと(だと自分が信じていること)に充分に力を注げていない現状の自分でも、
(自分で思っていたよりは)自分なりの役立ち方ができる、という実感を得たことが一番大きい。



そういうわけで、これからも、
未熟な途上にある自分の言葉をそのまま吐き出すような、無責任な日記が続いていく。
おやすみなさい。

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2005年04月19日(火)

喪失感の記憶

テーマ:記憶/記録
アーティスト: レミオロメン
タイトル: 雨上がり


この歌の、あるフレーズが忘れられない。
「移る景色変わる僕ら 思い出だけが増えていく 何に悩んだか忘れながら」


本当に、その通りだ。
大抵の人は(そして僕も)、子供の頃の心の世界を失いながら大人になる。
そして、失ったことに気づいた時にはもう、引き返すことができない場所にいる。
子供の頃の世界を無理に思い出そうとしても、それは生々しい感覚としては決して蘇らない。
一度失ったものをわざわざ呼び起こそうとするのは、所詮、どこまで行っても意図的な想像にしかならないのだ。

でも、「何かを失った」という喪失感の記憶だけは、なぜか残る。
肝心の、「何を失ったのか」ということは思い出せないのだけれども。



脳科学によると、
人が忘れるのは、記憶そのものが失われたからではないそうです。
失われたのは、記憶そのものではなくて、記憶を呼び起こす道すじのほうだといいます。
デジャヴ(既視感)が起こるのは、
忘れ去られていた過去の諸々の記憶が突然、無意識のうちに繋がって、
目の前の光景をかつて見たことがあるかのように錯覚させつつ、思い出されてしまうからなのだとか。
実際、これについては諸説あるようですが。
ただ、要らなくなった記憶も全部いつでも呼び起こされてしまう状態にあると、
脳の負担が大きすぎて混乱を引き起こしてしまうから、それを防ぐために、
「忘れる」というのは重要なことだそうです。



でも、そんな脳科学であれこれ考えて喪失感を味わっているわけではないんです。
むしろ、『雨上がり』で詠われていることが(僕にとっては)まさにその実感です。



なお、『雨上がり』という歌は、上で述べたような心境を盛り込みつつ、
雨上がりの一瞬の”感じ”を、飾り立てず、ありのままに詠った歌です。
・・・と、僕は感じました。
特に、曲からその”感じ”がひしひしと伝わってくるので、
もし興味があれば、一度、聴いてみてください。


ちなみに、僕が持っているのは『朝顔』というアルバムで、
その中に『雨上がり』が収録されているので、僕はそれを聴いています。


アーティスト: レミオロメン, 藤巻亮太
タイトル: 朝顔 (CCCD)
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2005年04月18日(月)

現象学

テーマ:今日の「まこっちゃ」
著者: 竹田 青嗣
タイトル: 自分を知るための哲学入門


ちくま学芸文庫の、250ページほどの本です。
今日、読み終わりました。
以下、率直な感想。


これは、代表的な哲学者の哲学を平易に解説した本です。
用語や専門知識の解説に終始するのではなく、著者自身の言葉で実感を込めて書かれています。
そのため、西洋哲学史をおおまかに掴むのに向いています。
ただ、全体を通して、もっぱら現象学の観点から述べられている感が否めません。
著者自身も、現象学との出会いは自分にとって非常に大きな出来事だった、という主旨のことをこの本の中で述べています。
そのことを踏まえれば、なおさら、この本は「現象学という観点から見た西洋哲学史」だと考えたほうがいいかもしれません。


逆に、現象学のことは、とてもわかり易く解説されています。
個人的には、現象学というものの輪郭を掴めた気になれたことが、この本を読んでの一番の収穫でした。


つまり、現象学というのは・・・
すべての人に共通の絶対的な真理があるわけではない、ということが前提。
だから、真理や正しさといった概念は単なる思い込みかもしれないし、見えている光景も錯覚かもしれない、ということに一応はなる。
でも実際には、誰もが真理や正しさといった様々な概念を持っているし、目で見ているものは確かにそこにあると思いながら生活している。そこで、(絶対的かどうかはともかく、)人にとって確かにあるこれらのことを「現象」と呼び、現象がどのようにして作り上げられ、また信じられていくのかを研究する学を「現象学」と呼ぶ。


現象は、他の人とのコミュニケーションのなかでその現象に対する確信が少しずつ深まることによって、確かなものになっていく。平たく言うと、自分が見ているリンゴを他の人も「リンゴ」と言うのを何度も聞くうちに、それがリンゴであるという確信を深めていき、「リンゴがある」という現象が確かなものになる、というようなことらしい。
これはこれで、大変説得力があると思う。
ただし、自分にある程度の自信がある人にとっては。


僕の場合、いつもではないものの、
自分がいま確信を持っているのかどうかすらもわからなかったり、
相手が「リンゴ」と言っているのは本当に自分が見ているリンゴだろうか、ということを疑い始めてしまったり、
どうもその辺で自信がなくなることが多い。
早い話が、僕は非常識なのだろう。
非常識な僕にとっては、現象学もまた疑わしいし、
そして何よりも、そうやって何でもかんでも疑ってしまう自分の神経を疑っている。んです。

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2005年04月17日(日)

感覚の勝利を信じる理屈屋

テーマ:「まこっちゃ」の目標

感覚や感情は、理性や理論に勝る。


・・・そのことを実感したい。
理性を感覚に挑ませた結果の「理性の敗北」として、実感したい。
どんなに頑張っても人工的には生々しい感覚は作れない、ということをはっきりさせ、
そこから理性と感覚の間にどんな溝があるのかを知りたい。納得したい。


おそらく、これは実感することしかできないだろう。
証明するのは難しい。
科学は多様に進歩したが、分野が多岐にわたり過ぎていて、
人間に寿命の壁がある限り、これらすべてを習得することは無理だろう。
でも、実感することなら一瞬で事足りる。


人は普通、ものを証明して理解するのではない。
力学的に箸の持ち方を習得する人なんていないし、
コンピュータを使う人のほとんどは、これを数学的に捉えたりはしない。
道具が道具である以上、人は、それを直観的に使う。
それは証明の世界ではなくて、実感の世界なのだ。


バスも電車も、エレベータもATMも、
その原理はよくわからなくても、人はそれを使いこなす。
だから人は普通、そういう理解の仕方をしているのだ。
そういう理解の仕方で・・・「感覚や感情は、理性や理論に勝る」ということを、理解したい。


・・・何が言いたいのか、よくわからなくなってきたから打ち切り。

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2005年04月17日(日)

人生の意味への問い、西洋思想と東洋思想

テーマ:論理と心理/頭と身体

人生には何の意味があるのだろう、とか、
自分は何のために生まれてきたのだろう、とか。
・・・答えの出せない疑問。
でも、それは切実な疑問。


西洋の思想は、その疑問に答えることで、その疑問を解決しようとしてきた。
だから、西洋の思想家たちは互いによく議論をした。
その結果かどうかは知らないが、
西洋では、論理的なものの考え方が発達した。


東洋の思想は、その疑問を切実でなくすることで、その疑問を解決しようとしてきた。
だから、東洋の思想家たちは己を鍛えるためによく修行をした。
その結果かどうかは知らないが、
東洋では、身体的なものの考え方が発達した。



西洋の人たちにとっては、切実な疑問だったからこそ、答えを出そうとしたのだろう。
東洋の人たちにとっては、答えの出せない疑問だったからこそ、切実でなくしようとしたのだろう。

僕は、どうも頭でっかちだから、
東洋人のくせに、答えを出そうとしてしまうことが多い。
答えを出そうとしたり、切実でなくしようとしたり、その狭間で揺れ動いてばかりいる。

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2005年04月17日(日)

冷温度

テーマ:サイト紹介

『冷温度』 というブログを時々、読んでいます。


ここでは、ブログ主さんの思考の渦がそのまま文章になっています。
そういう意味では、ここと似たようなところです。
でも、僕の文章は最近、恣意的なところがあって、
自分でも「これは嘘ついてるんじゃないか」と思うことがあります。


「そうそう、本当は僕、こういう思いを抱えているんだった」
忘れかけていた自分の原体験が、『冷温度』というブログを通じて蘇ります。
少なくとも、まこっちゃは。



なんだか、まるで『冷温度』のブログ主さんと僕が似ている、とでも言っているみたいですが。
(実際、そういう気持ちも持っていますが・・・)
もし失礼でしたら、ごめんなさい。

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2005年04月16日(土)

心の論理、世界の論理

テーマ:論理と心理/頭と身体

例えばの話。



それなりの大きさのビルで、火災が起きた。
ちょうどその時、自分もそこにいた。
火災報知器が鳴り響き、瞬く間にビル全体に煙が充満していく。
そこで、記憶を頼りに逃げ道を考え、煙が押し寄せてくる方向とは反対のほうへ向かう。


たまたま、大きめの透明な袋を持っていた。
だから、それをかぶって胸のところで押さえれば、しゃがまなくても煙を吸い込まずに歩くことができた。
でも中には、煙を吸い込んでしまって苦しそうにしている人もいる。
そういう状況で自分だけ逃げるのは気が引けたから、
しばし立ち止まって、その人たちを、地上に逃げられるルートへと誘導していた。


少し経った頃、消防隊員が窓から入ってきた。
消防隊員に導かれて、自分は窓から脱出した。


さて、後で知ったこと。
あの時、自分が誘導して先に下りていった人たちが、下りて行った場所で死んでしまったらしい。
どうやら結果的に、より危険なほうへと誘導してしまったようだ・・・。



こういう時、自分の責任を感じずにはいられない。
「自分のせいであの人たちが死んでしまった」
「自分が余計なことをしなければ、こんなことにはならなかった」
これが、心の側の論理。


でも普通、世間は、(よほど意地悪な人でなければ)そのようには評価しない。
「火事のせいであって、あなたのせいではない」
「さっさと逃げてしまっても良かったのに、あなたは偉かった」
これが、世界の側の論理。
(二つ目の”偉かった”云々というのは少し論理とは違うけれども)



心の側の論理も、世界の側の論理も、どちらも無視することはできない。


死に対する恐怖は、心の側の論理から来るものだ。
でも、世界の側の論理は、
「それは考えたって仕方のないものだから、考えるだけ無駄だ」
「死んだ後のことなんて、誰も経験したことがないんだからわからない」
と、その恐怖を切り捨てる。


僕は、どちらも正しいと思う。
確かに、考えたって仕方がないのだろう。考えてばかりいては生きていけないのだろう。そもそも、考えようもないことなのだろう。わからないのだから。
でも、死が怖いのはどうしようもない。
「仕方がない」
「わからない」
と言われて、「はい、そうですか」なんて、そう簡単にはとても納得できない。
死は、自分が存在しなくなることなのだ。この実感は嘘じゃない。むしろ、嘘だと思えたらどんなにありがたいことだろう。



心の論理と世界の論理は、食い違ってしまうことが多い。

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2005年04月16日(土)

記憶が飛んでる

テーマ:今日の「まこっちゃ」

記憶が飛んでる。


世界の論理と心の論理は食い違うことが多い、っていう話を、
昨日あたり、確かにここで書いたはずなんだけど。
・・・影も形もない。
「書いた」っていう夢でも見たのかな。
それともちゃんと更新されてなかったのかな。


仕方ないから、これからドイツ語の授業を受けてきて、
戻ったらもう一回書きます。

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2005年04月15日(金)

変化に富んで

テーマ:人間/人生

人が感じ取るのもの、それは変化。
変化のないものは、人には感じ取れないらしい。


普段怒らない人が怒る。
今まで生きていた人が死ぬ。
明るかった空が皆既日食で暗くなる。
骨折して歩けなくなる。
・・・こういう時、とてもリアルに感じる。


いつも怒っている人がまた怒る。
今まで生きていた人が今も生きている。
明るかった空がまだ明るい。
骨折もせずに歩ける。
・・・こういうことは、あまりリアルに感じられない。



だから、何かを伝えようとする時も、
ただ正しく伝えれば伝わる、というものではないのだろう。
変化に富んだ伝え方でこそ、ものは伝わるのだ。


退屈な文章、退屈な演説というのは、大抵、変化に乏しい文章であり演説だ。
人間の感じ方がそもそもそのようになっているのだから、
人間を相手に何か伝えようとするなら、変化を強く意識したほうがいい。

ちなみに、ある実験で、人間の頭と眼球を固定したところ、
目は開いていても、ほんの数十秒で何も見えなくなってしまったらしい。
これはそもそも目の構造上の問題であって、誰でも必ずそうなる、という話。
人の目は、常に細かく動くことによって物を認識している、ということだそうで。

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2005年04月14日(木)

鼻水事変

テーマ:今日の「まこっちゃ」

鼻水が止まらない。
脱水症状になったらどうしよう。
いったい、どこからこんなに大量の水分が出てくるんだろう。
そのうち眼球がしぼんでしまうんじゃないかと心配で夜も眠れない。


心配なのは眼球だけじゃない。
眠っている間に、
急性の脱水症状で急逝してしまうんじゃないか、とか、
自分の鼻水で溺れてしまうんじゃないか、とか、
溺れるまでは行かなくとも床下浸水してしまうんじゃないか、とか。


「驚愕の珍事件~鼻水で床下浸水、あわや大惨事~」(4月15日付毎日新聞朝刊)

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