命の連鎖を断ち切る | 考えすぎ
2013年12月14日(土)

命の連鎖を断ち切る

テーマ:「まこっちゃ」の目標

今日、夢を観た。


昨日の夜、なかなか寝付けなくて早朝に目が覚めてしまい、
気持ちの整理が付かず、今日は朝から混乱気味だった。
気づけばベッドに倒れこんでいて、そのまま昼頃まで眠り込んでいた。


印象的な夢だった。
いつか絵にして残したい、と思うような。
たぶん、描いても僕以外の人には、ただの一本の木が生えた月夜の丘にしか見えない。
でも、僕は、その場所で何者かにこう告げられた。

「命の連鎖を断ち切れ」




夢から醒めて、記事にして残そうと思った。
でも、途中で気づいた。
字面だけ見るとトンデモナイ意味になってしまう・・・。

「命の連鎖を断ち切る」

何の補足もせずにこう言えば、危険人物だと思われてしまう。
そもそもニュアンスが違うのだ。


どう説明すればよいか・・・。
自分なりに考えていた。
たぶん、こういうことだろう(が、また後で訂正するかもしれない)。




「命の連鎖を断ち切る」のは、あくまでも個人的なことであり、
自分以外の命は対象ではない。
また、自分の子孫を残さないという意味でもない。
そのような物理的な意味ではなく、
「繋がり」という意味での連鎖を断ち切る、ということである。
親から子への連鎖を断ち切る。
それを自分から、みずからの意志でやる。


そもそも自力で、自分だけで生まれてきた人はいない。
自覚の有無にかかわらず、親が存在しない人はいないのだ。
人は誰しも、必ずその「繋がり」を持って生まれてくる。
その「繋がり」の力で生かされる。
そこまでは、あらゆる面で絶対に必要なのだ。その個人的な「繋がり」が。


しかし、それは育てられ、成長したその人自身が、後に断ち切らなければならないものだ。
例えば、受けた恩も返さず、時には命じられたことも守らず。
ただし、ここで大切なのは親を否定することではない。
大切なのは、「繋がり」を断ち切っているか、ということである。
みずから「繋がり」を断ち切った上で、受けた恩を返し、命じられたことを(自らの意志で)守ろうとするのであれば
何も問題はない。




現実に、世界中で、命の連鎖は続いている。
これからも続いていくことだろうし、
これからも続けていこうとして、皆、生きている。


その「繋がり」は、受け身の繋がりではない。
各々が、みずから繋いできたからこそ、命の連鎖は続いている。


命の連鎖を続けるために、一度、命の連鎖を断ち切る必要がある。
それでも残る連鎖だからこそ、続ける価値がある。
通過儀礼と言ってもいい。
・・・つまり、そういうことではないかと思う。

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