変化に富んで
人が感じ取るのもの、それは変化。
変化のないものは、人には感じ取れないらしい。
普段怒らない人が怒る。
今まで生きていた人が死ぬ。
明るかった空が皆既日食で暗くなる。
骨折して歩けなくなる。
・・・こういう時、とてもリアルに感じる。
いつも怒っている人がまた怒る。
今まで生きていた人が今も生きている。
明るかった空がまだ明るい。
骨折もせずに歩ける。
・・・こういうことは、あまりリアルに感じられない。
だから、何かを伝えようとする時も、
ただ正しく伝えれば伝わる、というものではないのだろう。
変化に富んだ伝え方でこそ、ものは伝わるのだ。
退屈な文章、退屈な演説というのは、大抵、変化に乏しい文章であり演説だ。
人間の感じ方がそもそもそのようになっているのだから、
人間を相手に何か伝えようとするなら、変化を強く意識したほうがいい。
ちなみに、ある実験で、人間の頭と眼球を固定したところ、
目は開いていても、ほんの数十秒で何も見えなくなってしまったらしい。
これはそもそも目の構造上の問題であって、誰でも必ずそうなる、という話。
人の目は、常に細かく動くことによって物を認識している、ということだそうで。